2021年4月23日金曜日

ふくしまSHOW・小野町編

                           
 テレビユー福島の「ふくしまSHOW」は欠かさず見る。水曜日夜7時からの福島ローカルで、県内の各自治体を訪ねて「注目ランキング」10を紹介している。おととい(4月21日)は田村郡の小野町だった。

「小野小町(おののこまち)」「小泉さんと丘さん」「仙台屋食堂」「リカちゃんキャッスル」「夏井千本桜」は、見たり、聞いたり、行ったりしているので一発でわかった。

 小野町には小野小町伝説がある。夏井千本桜は、先の日曜日(4月18日)、マイクロツーリズム(山里巡り)の帰りに橋の上から眺めた。

「小泉さん」は醸造・発酵学者の小泉武夫さん、「丘さん」は作詞家の故丘灯至夫さん。ともに同町出身だ。

丘さんは、「高校三年生」や「東京のバスガール」のほかに、古関裕而作曲の「高原列車は行く」などを作詞した。町内の生家(西田屋本店)の前に「丘灯至夫生誕の地」の碑が立ち、小野町ふるさと文化の館には「丘灯至夫記念館」が開設されている。

「キャンプ場」は2カ所が紹介されたが、全く知らなかった。「磐越東線ギャラリー」は新聞で知り、「アイスバーガー」はほかのテレビ局でも取り上げていたので、なんとなく頭には入っていた。

 同ギャラリー(東方文化堂)のオーナーは渡辺伸二さん。鉄道マニアで、同町にUターンし、自宅兼店舗にギャラリーを開設した。渡辺さんは平成19(2007)年、『磐越東線ものがたり 全通90年史』を出版している。この本には世話になった。

草野心平の詩に「故郷の入口」がある。昭和17(1942)年10月、心平は中国・南京から一時帰省する。詩の冒頭4行。「たうとう磐城平に着いた。/いままで見なかったガソリンカーが待ってゐる。/四年前まではなかったガソリンカーだ。/小川郷行ガソリンカーだ。」

 磐越東線をガソリンカーが走ったのはいつか。作品とは別に、史実を確かめたくて渡辺さんの本に当たった。

「このガソリン動車、磐越東線では昭和11年(1936)4月15日から平・小川郷間を走っていた」。太平洋戦争末期の「昭和20年(1945)6月のダイヤ改正時には姿を消している」。心平のいう同17年の4年前ではなく、6年前には運行が開始されていた。

確認が必要なのは次のような事情による。既成の心平年譜は「基本的に心平の自筆と口述に基づき、若干の資料に当って作成されたものである。間違い、勘違いの類は壮大多数、実証的研究には役立たない部分が多い」草野心平研究2003・11 5」)。ならば、詩にも間違い・勘違いが入っている。注釈が必要になる。

「こだわりのレストラン」のひとつはイタリア料理店の「チルコロ・イル・ピッコロ・カンポ」。ピッコロ・カンポは小さな野原、つまり小野の意。何年か前、昼に入店して、おすすめのマルゲリータ(ピザ)を、カミさんはパスタを食べた。

「渡久製菓」にはカミサン好みの商品がある。平田村から小野町を巡った日曜日、道の駅ひらたで同製菓の「ぬれ花まめ」を買った=写真。人気商品らしい。前にも小野町でこの商品を買ったことがある。

 夏井川渓谷の隠居から上流の小野町、山の陰の三和町は、車で30分圏内だ。ときどき、どちらにもある直売所を訪ねたり、昼ご飯を食べに行ったりする。

今度は東方文化堂だ。JR磐越東線小野新町駅近く、踏切を渡る前に道が直角に曲がる。その急カーブにある。日曜日、カミサンが助手席から看板を見て記憶していた。

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