2013年7月9日火曜日

石もまた作物をつくる

少し宣伝を。もう3カ月以上前のことだが、いわき市農業振興課が『いわき昔野菜図譜 其の参』を発行した=写真。取材・編集を担当したのはいわきリエゾンオフィス企業組合。縁があって、「壱」「弐」「参」すべての「はしがき」を書いた。このごろ、やっと3冊目の冊子をパラパラやれるようになった。安直だが、その「はしがき」です。
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群馬県の山里で暮らす哲学者内山節さんの本(『自由論―自然と人間のゆらぎの中で』岩波書店)に、次のようなくだりがある。――日照りの夏、畑をふと見たら少し大きめの石が目についた。取り除こうとして石を持ちあげると、石の下はわずかばかりの湿り気と冷たさを帯びていて、ミミズのような小動物が集まっていた。

そのとき、内山さんは「畑の石は取り過ぎないように」と言っていた村人の言葉を思い出す。畑の土はそれらの小動物がつくっている。その小動物を小石が日照りから守っている。石もまた作物をつくっているのだと、内山さんは了解する。

本書の54ページ、「一族で継承。おたまさんのえんどう豆」に似た話が載る。いわき市遠野町で、隣り合う親戚2軒がおばあさん伝来のエンドウを栽培している。「栽培地周辺は、畑に小石が多く混じっています。耕して畑にするには大変不便な土地ですが、石には日中の熱を蓄え地温を保つ働きがあります」

夏井川渓谷の小集落に小さな菜園をもっている。畑の小石には悩まされてきた。石や硬い土が伸びる根を遮るから、ときどき大根やニンジンが“たこ足”になる。しかし、気象との関係でいえば、小石もそれなりの役目を果たしている。畑の石は多くても困るが、取り過ぎてもいけないのだということを、上記二つの話が教えてくれる。

この栽培者たちのきめ細やかな観察力はどこからくるのだろう。家族に食べさせたいという愛情が原動力になっているのはまちがいない。それは昔野菜に限ったことではないが、昔野菜とは切っても切れないものだ。

その延長線上に、親子の情愛を添えることもできる。「嫁に来たばかりの頃、働きすぎから腎臓を患い、見舞いに来た実母が腎臓の薬にと言って、実家で栽培していたスイカの種を分けてくれました」(15ページ)、「嫁入りの際に、実母から小豆を手渡されました」(17ページ)。昔野菜の種子の伝播・継承に母親が重要な働きをしていることが読みとれよう。

本書にはフィールドワークの成果が満載されている。とりわけ、畑の小石にまで目が届いていることに感銘を受けた。
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いわき市暮らしの伝承郷で7月20日から9月1日まで、「いわきの昔野菜展」が開かれる。チラシには、写真で野菜を展示する、施設内の畑でも展示する、とある。ということは、実際に栽培を試みている昔野菜もあるわけだ。畑をのぞく楽しみができた。

2013年7月8日月曜日

農家レストラン

時折、山里の農家レストランや直売所を巡る。きのう(7月7日)は農家のおばさんたちが運営している、いわき市三和町上三坂の「ぷろばんす亭」=写真=へ足を運んだ。夏井川渓谷の埴生の宿(無量庵=いわき市小川町上小川)からは車でざっと30分圏内だ。

日曜日はたいてい、無量庵で土いじりをしたあと、さてどこへ行くか、となる。3・11前は、同じ溪谷にある直売所「山の食。川前屋」(いわき市川前町)へ直行した。夏井川をさかのぼれば田村郡小野町、対岸の山を越えれば三和町。これまでに訪ねた直売所、農家レストランは両地区だけで7カ所に及ぶ。

「ぷろばんす亭」は土・日・祝日の昼(午前11時~午後3時)だけ営業し、自家野菜を主体にした料理をバイキング形式で提供する。バイキング料理プラスそば、同ハンバーグもあるが、バイキングとごはん、味噌汁だけにした。味噌汁の味がよかった。これも自家製だろう。要は、田舎の家庭料理、おふくろの味だ。

帰りは国道49号沿いの直売所「三和町ふれあい市場」へ寄る。糠漬け用にキュウリ、ほかに梅干しなどを買った。

直売所や農家レストランは3・11後、苦戦を強いられてきた。いわき市の農林水産業復興応援ポータルサイト「うまいべ!いわき」をのぞくと、運営者の苦闘・奮戦ぶりがわかる。「三和町ふれあい市場」は、風評被害より高速道の無料化が響いたという。目の前の国道49号を往来する車が減っては商売にならない。今は客足が戻ってきただろうか。

「山の食。川前屋」は、ポータルサイトには載っていない。きのう、その前を通ったら建物がなくなっていた。3・11後、夏井川溪谷を往来する車が激減した。「通るのは川内村へ除染に行く車だけ」という状態で、長らくシャッターが下りたままになっていた。ついにギブアップをしたか、という思いを禁じ得ない。

原因ははっきりしている。夏井川渓谷は、アカヤシオの花が咲く春と紅葉が燃え上がる秋に、行楽客でごった返していた。関係者の胸中にあるのは「原発事故さえなければ」という怒り・悲しみだろう。

2013年7月6日土曜日

未使用切手

知りあってから二十数年、亡くなってから11年。3・11後はとりわけドクターの不在を、ことばを交わせないもどかしさを痛感している。

奥さんからはときどき、本や衣類を整理したからと、電話が入る。先日も、ふとん、食器、丸型プレートなどを2回に分けて引き取った。その何日か前にも同じように車を走らせた。3・11前はバングラデシュの子どもたちのために、3・11後は身近な被災者のために、という思いが強い。ついでに、形見としてドクターの本をちょうだいする=写真

今度手元に置くことにした本は、私が『日本国憲法からの手紙』『日本国憲法』『広島・長崎の原爆災害』『阿武隈の雲』など、カミサンが『なだいなだ全集』など。いわき市は昭和61年3月、「非核平和都市宣言」をする。ドクターはそのための署名運動で中心的な役割を果たした。改憲が議論されている今、あらためてドクターの心に触れてみたくなった。

もう何年、そして何回になるだろう。こうして電話がきて、ドクターの家へ車を走らせるのは。奥さんは東京出身。子どもさんたちも首都圏に住む。来年初夏には東京へ引っ越すという。そのためのダンシャリでもある。

未使用切手がたくさんあった。「使ってもらえるだけでありがたい」という。「いやいや、こちらこそありがたい。いわき地域学會は切手代の捻出にも苦労してますから」。カミサンがあとでざっと数えたら、ン十万円分はある。びっくりするほどの額だ。

早速、封書による行事案内に利用した。が、地域学會が封書を利用するのは年に何回もない。換金して寄付のかたちにすれば、3年後に出版を計画している調査報告書の印刷代の一部に充てられる。それだって奥さんの希望にかなう。ドクターからの支援になる。近いうちに地域学會会員で若い古本屋クンに相談してみよう。

2013年7月5日金曜日

さくらんぼ

双葉郡大熊町から近所に避難してきたおばあさんがいる。元気なおじいさんと一緒だ。米屋をやっているカミサンと知り合い、ときどき顔を出すようになった。ポットやプランターで育てた花苗を持ってくることもある。先日は初物の「山形のさくらんぼ」をいただいた=写真

店では米のほかに塩を売り、醤油を売る。3・11後は初めて買い物にくる人が少なくなかった。ほとんどが双葉郡から避難してきた人だった。

おばあさんとおじいさんは最初、会津へ避難した。アパートに入った。うるさかった。夏は背中が焼けるほど暑かった。冬は1メートルも雪が積もると聞いておそれをなした。それで、不動産業者に頼んで家を見つけ、夏のうちにいわき市へ引っ越してきた。

以来、2年。わが家を中継点にして週1回、近所の人が予約した卵が川内の「獏原人村」から届く。その卵やヤクルトの予約を頼まれることもある。その意味では、おじいさんとおばあさんはすっかり近所の一員になった。

土いじりが好きて、プランターにいっぱい花を咲かせる。いただいた花の苗はトレニア、アサガオ。ポット苗は好きな人に持って行ってもらうように、張り紙をして店頭に置いたら、いつの間にかなくなった。

こうして新しいコミュニティに溶け込んでいるせいか、ときどき2人が原発避難者であることを忘れることがある。いや、忘れているくらいでいいのではないか。「山形のさくらんぼ」はだから、おばあさんからもらったこともあるが、初物だということだけで十分うまかった。

2013年7月3日水曜日

糠床に釘

今年の半分が終わるというのに、糠床を眠らせたままではないか。とにかく7月に入る前に糠漬けを再開しよう。ちょうど6月30日、平北白土の篤農家塩脩一さんのキュウリが手に入った。というわけで、きのう(7月2日)、今年最初の糠漬け=写真=を食べた。

塩家を訪ねたのにはワケがある。それは後日書くとして、せっかく来たのだからキュウリを買って帰ろう、となった。塩さんのキュウリはやわらかい。朝、糠床に入れたら、昼にはもう食べられる。娘さんがキュウリの入ったポリ袋を持って来て、「曲がりキュウリだからおカネは要らない」という。ありがたくちょうだいした。

白菜漬けを切らした4月以降、漬物の調達に気をつかった。「漬物もどき」は口にしたくない。「発酵食品」と明示されたキムチを主に食べた。日がたつとすっぱくなるのが難だ。これからはしかし糠漬けがある。悩まないですむ。

「3・11」を経験して、「中断」と「再開」を対で考えるようになった。9日ほど「原発避難」をしている間に、わが家の糠床の表面にアオカビが生えた。中身はまだ生きていたので、表面のカビをかき取るだけですんだ。一番身近な「中断」と「再開」だった。その糠床を今年も使う。

双葉郡の浪江町からいわきにやって来た糠床がある。原発がおかしくなって、浪江から東京へ避難した。その人が一時立ち入りの際、浪江の家から糠床を持ち出した。東京へは持って行けない。で、いわきに住むいとこに糠床を託した。「祖母の、祖母の、祖母の代から続く糠床」だ。これもまた、双葉郡から救出されたいのちの一つには違いない。

双葉郡から避難した人たちは、さまざまなもの・ことでこうした「中断」を余儀なくされている。「再開」できずにいるもの・ことが大半だろう。そんなことを考えるたびに怒りの深度が増す。

それはともかく、糠漬けでうまくできないのがナスの青い色つやだ。糠床に錆びた釘を入れておく、ナスの表皮を塩でもむ――と、きれいなナス紺色になるというが、いつも雑に入れてしまう。「糠に釘」ではなく、「糠床に釘」のこころが大事だということだろう。

2013年7月2日火曜日

猫とマタタビ

夏井川渓谷からマタタビの葉を持ち帰った。「猫にまたたび」で、部屋に葉を置けばゴロニャン、となるはずが、そっぽを向いている=写真。もう1匹もクンクンにおいをかいだあと、やはりそっぽを向いて歩きだした。のどを鳴らして身をよじるものもあれば、まったく興味を示さないものもある、ということだろう。これではただの「猫とマタタビ」だ。

いわき地域学會の市民講座が7月20日に開かれる。日曜日(6月30日)に案内のはがきを投函した。いわき市文化センターが会場だ。その文化センターから電話が入った。「あて名のないはがきが10枚届いています、あずかっておきますから」「!!!」

はがきが2枚重なっているのに気づかず、あて名シールを張った。それが10回あったということだ。指先の感覚が鈍ってきたか。シールはすべて張ったから、案内に漏れはない。10枚よけいに刷ったことになる。

それより、なぜ文化センターか? はがきに「いわき地域学會」の名前はあっても、差出人としての住所はない。省略してしまった。で、公知の「いわき市文化センター」に郵便屋さんが託した、ということなのだろう。どちらにも迷惑をかけた。すみません。

文化センターへ行った帰りに、イトーヨーカドー平店2階にある交流スペース「ぶらっと」へ寄った。「ぶらっと」はシャプラニール=市民による海外協力の会が運営している。「ステナイ生活」の一環で書き損じはがきを集めている。

書き損じはがき10枚で、バングラデシュでは家事使用人として働く少女のための読み書きの授業を1回開催することができる、という。せめてそちらで生かしてもらうことにした。

そのときの雑談。「今度、いわきに美空ひばりが来るんですよね」「???」。すてきなジョークだなと思っていたら、本人が訂正した。「天童よしみでした」。笑いが爆発した。天童よしみは美空ひばりにあこがれて歌手になった。そのいきさつを知っていて、頭では「天童よしみ」を思い浮かべながら、口ではつい「美空ひばり」と言ってしまったのだろう。

いいな、こういう頓珍漢は――ほぐれた頭に、あるカレンダーが思い浮かんだ。今年1月から6月までの半年カレンダーで、わが家のトイレに張ってあった。最後の最後になって「6月25日」が2回続いているのに気づいた。世にも珍しいミスプリだ。コレクションに取っておけばよかったかな。

2013年7月1日月曜日

半年が終わった

6月9日に三春ネギの苗を植え、23日に採種用のネギ坊主を刈り取り、分櫱(ぶんげつ)した苗の定植をした=写真。いつもの年より少し遅い。糠床もきのう(6月30日)、ようやく開封し、食塩のふとんをはがして捨て漬けをした。例年よりほぼ2カ月遅れの再開となった。

師走に体調を崩し、3月までわが家にこもっていた。4月には2年間先延ばしにしてもらっていた「行政嘱託員兼区長」になった。その仕事と、体の調子と、天気の関係から週末の畑仕事も、大型連休明けの糠床再開も棚上げのままにしてきた。

わが行政区では、区長(行政嘱託員)が10日サイクルで市から届く回覧物を班(隣組)ごとに振り分け、区の役員さんに届ける。役員さんは区長も含めて、担当する班の班長さんにその回覧物を届ける――という仕組みになっている。合間に、「当て職」に伴う各種団体の役員会・理事会・総会が続く。

4~7月には1週間サイクルの仕事が入る。ブログは、体調をくずす前までは1日サイクルだった。これに、1カ月サイクル、3カ月サイクルの書き物と、いわき地域学會の行事が加わる。それらを調整しながらの3カ月だった。

いまだにリズムがつかめない。戸惑いも多い。やることがいっぱいあって、現役のころよりかえって忙しい。夜、「あした、すること」をメモして寝るのが日課になった。その見返りは、地域の人とじかに顔を合わせるようになったこと、地域の実情がより深く理解できるようになったことだ。


「毎日が日曜日、何もすることがない」と嘆くひまがないのはいいが、時間をやりくりしないと手遅れになるものがある。三春ネギの定植・採種、糠床の再開。2013年の前半が終わるぎりぎりになって、やっと“宿題”を終えることができた。そのことに今はホッとしている。