2021年10月21日木曜日

大須賀乙字展

        
 「俳論家・俳人大須賀乙字展」がいわき市四倉町のひまわり信用金庫四倉支店で開かれている=写真。同支店近くに住む自営業緑川健さんが収集した短冊や掛け軸などが展示されている。11月30日まで。

 先日、知人と見に行った。あとで緑川さんの店に寄り、展示作品の解説を受けた。乙字とは?という人が多いという。前に拙ブログで乙字について書いているので、まずそれを抜粋して再掲する。

いわきゆかりの近代文学で欠かせないのが大須賀筠軒(いんけん=1841~1912年)・乙字(1881~1920年)親子。幕末から大正元年まで生きた筠軒は、日本有数の漢詩人にして画家・学者、息子の乙字は明治~大正の俳人・俳論家だ。

震災前の2010年5月、いわき地域学會に連絡がきて、仲間3人と茨城県ひたちなか市へ調査に出かけた。乙字の最初の妻(宮内千代)の出身地(旧那珂湊町)で、縁者の家に筠軒・乙字関係の資料が残っていた。

大きくはないトランクと、それより小さいトランクに、手紙やはがき、絵の下書きなどが詰まっていた。「賢治のトランク」ならぬ「乙字のトランク」だった。

それから9年後の2019年春~夏、勿来関文学歴史館でこの資料を紹介する「乙字のトランク展」が開かれた。

乙字は若いころ、五七五調にとらわれない「新傾向俳句」の河東碧梧桐に師事した。また、私たちが普通に使っている「季語」を初めて用いた人間でもある。38歳という若さで亡くなった。死因は肺炎だが、それを誘発したのはスペイン風邪だった。

「乙字のトランク展」は、その意味ではスペイン風邪100年、乙字没後100年を見すえた記念展でもあった。

さて、四倉の乙字展では彼の短冊・掛け軸、そして額装品をじかに見て感じるものがあった。江戸時代の俳人と違って、乙字はそんなに字を崩さない。なんとなく全体がわかる。わきに緑川さんの「釈文」が添えられている。これが難字の読みを助ける。

掛け軸は「山気(さんき)夢を醒(さま)せば蟆(ひき)の座を這へる」(大正3=1914年)「湖光銀泥を消すは峰雲かかるなり」(同6=1917年)。どちらも定型を超えた新傾向俳句の印象が強い。

現在は久之浜の波立寺蔵となっている額装品は、富士山の絵(作者不詳)に乙字が「霧脚(きりあし)のすばやき裾野芒哉(すすきかな)」の句を添えたものだ。父親の筠軒も宿泊するほど交流のあった名家が所有していたという。同寺には筠軒の漢詩碑が立つ。その意味では、落ち着くところに落ち着いた。

崩しの少ない乙字の書から近代俳人の一面がうかがえたが、富士山の絵からもなにか新しいものを感じとることができた。水墨画には違いないのだが、写実的な雰囲気がある。この額装品も一見の価値がある。

2021年10月20日水曜日

寒さがこたえる

                      
 時候のあいさつ。「夏から急に冬ですもんね」。日曜日(10月17日)にいつもの魚屋さんへカツオの刺し身を買いに行くと、店主がこぼした。確かに、寒暖の差が大きすぎる。

 11日の月曜日は、いわき市山田町で29.6度と真夏日に近かった。翌12日からは気温が急降下し、木・金曜日を除いて最高気温が20度を下回った。

 月曜日は半袖、翌日からは長袖、さらに今は茶の間で石油ストーブをたき、毛糸のチョッキを1枚重ね着している。

 朝起きると、糠床をかき回す。12日は表面に白く産膜酵母が繁殖していた。この酵母は耐塩・好気性だ。空気に触れている時間が長いと、そして気温が高いと、活発に増殖する。糠床の塩分がもともと低いところに、暑い日が続いた。酵母にとっては好条件が重なった。

 直接的な害はないので、そのまま混ぜ込んだが、味はだんだん古漬けのようなものになっていくという。ま、それも糠床を冬眠させるまでの間だ。

 夏のような日から冬のような日に替わると、産膜酵母は姿を消した。糠床そのものもひんやりしてきた。

わが家では、私が漬物をつくる。夏場は糠漬け、冬場は白菜漬けにする。11月の声を聞くと糠床を眠らせ、白菜漬けの準備をする。5月の大型連休が終わると糠漬けを再開する。

今年(2021年)は暖冬だった。立春を迎えたばかりのころ、白菜漬けにも産膜酵母が張るようになった。これでは糠床を早く冬眠から覚まさないと。ほぼ1カ月早い4月10日ごろ、糠漬けを再開した。夏の糠漬けも、冬の白菜漬けも年々、温暖化の影響を受けるようになった。

一方で、夏から冬のような寒さに替わって活動をやめたものがいる。蚊だ。30年余に及ぶ“定点観測”の結果として、わが家では毎年、5月20日前後に蚊が現れて人間を刺し始める。姿を消すのは10月20日過ぎ。ところが、3年前の2018年は、11月2日にチクリとやられた。11月に入って初めて蚊に刺された。

蚊にも活動に適した気温がある。猛暑だとげんなりして活動が鈍る。蚊取り線香の売り上げも減る。この秋は夏のような日が続いたこともあって、毎日、蚊取り線香をたいた。

真夏のような月曜日が過ぎると、ブンブンいう蚊の羽音が消えた。ストーブなし、室温20~25度あたりが活動には適しているようだ。それが静かになった。とはいえ、また暖気が戻れば、羽音が聞かれることだろう。

気温は変動が激しいが、「海水温はそうすぐには下がりません」。冒頭の魚屋さんの話だ。温暖化で浜通りの沿岸域でもイセエビやトラフグが獲れるようになった。半面、サンマやサケ、タラの不漁が続く。ハマの冷凍倉庫はどうなっているだろう。

 わが生活圏の夏井川にやっとサケのやな場ができた=写真。いつもより半月は遅い。河川敷の土砂除去工事が行われている。やな場付近では左岸の工事が終了した。それで遅れたのか、あるいはサケの南下が遅れ気味で、それに合わせて設営時期をずらしたのか。そこはわからない。が、「潮目の海」といういわきの売りは、これからどうなる?

2021年10月19日火曜日

龍と雲

                      
 お寺で個展を開くという案内が届いた。「峰丘と花展」(10月10~20日)。会場はいわき市好間町北好間字上野の曹洞宗龍雲寺だ。

 このところ、寺を会場にしたイベントがニュースになる。寺はもともと地域のよりどころであり、学びの場(寺子屋)だった。今風にいえば、カルチャーセンター。同寺でも、定例的にヨガ教室や写経、座禅会などが開かれている。

 東日本大震災の前、2010年秋にも同寺を訪れた。平近辺の三つの寺で「いわきアート集団美術展」が開かれた。その会場の一つだった。

それから11年。日曜日(10月17日)に寺を訪ねた。個展の会場は本堂の奥の「禅ホール」。新しい建物で、「峰丘と花展」が「こけらおとし」になった

寺がSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)で発信している情報によれば、同ホールはイベントや会合の場として広く開放される。

途中、客殿らしいところでシルバーのカップルがコーヒーを飲んでいた。16・17日限定で「寺カフェ『ドラゴン』」がオープンした。

ドラゴンはむろん、寺の名前からきている。「龍」ではなく、「ドラゴン」としたところが、若い世代には親しみやすいのだろう。

日本のアニメや漫画が世界の若者から支持されている。2年前、わが家の近くにある故義伯父の家にホームステイをしたスペインの若い歴史学者も、子どものころ、「ドラゴンボール」や「キャプテン翼」「北斗の拳」などに親しんだ。「『ドラゴンボール』が一番好きだ」といっていた。

ドラゴンとくれば、私もすぐ「ドラゴンボール」を連想する。峰もドラゴンの絵を描く(峰とは40年以上のつきあいなので、尊敬の念を込めて「さん」も「君」も省略する)。

「峰丘と花展」では、峰が花の絵50点を、小原流いわき支部の人たちが生け花30点を展示した。

峰は若いころ、メキシコで絵の修業をした。峰の花の絵といえば、朱色に燃え上がる向こうの花が思い浮かぶ。今回、初めて花の写真を見た。木に咲く花だった。ネットで検索すると、カエンボクという花に似る。

それとは別に、たなびく雲の中からドラゴンが現れた絵が壁にはまっている=写真。このドラゴンはカラフルで、どこかユーモラスだ。龍と雲、まさに寺の名前を象徴する作品だ。われわれが向こうへ去って、新しい人間が現れても、ドラゴンはずっとそこにある。峰の説明を聞きながら、そういう思いになった。

同寺には吉野せいの墓もある。3年前(2018年)の秋の彼岸に寺を巡り、吉野家の墓にも線香を手向けた。

墓地の先にある高台は、夫とせいが開墾生活に苦闘した菊竹山。北西に500メートルほど離れたところに吉野家がある。今回は雨なので、参道から手を合わせるだけにした。

2021年10月18日月曜日

初ストーブ

                             
 日曜日(10月17日)は朝から雨になった。夏井川渓谷の隠居へ行ってもやることはない。が、1週間前に三春ネギの種をまいた。もしかしたら、発芽しているかもしれない。それを確かめるだけでも行く意味がある。

 朝食は隠居でとることにして、いつもの日曜日より1時間ほど早く家を出た。途中、チェックしたいことが二つあった。どちらもハクチョウがらみだ。

 平窪の田んぼはあらかた稲刈りが済んだ。コハクチョウが夏井川へ飛来すると、日中、ここに現れてえさをついばむ。

1週間前、小川・三島の夏井川でコハクチョウの初飛来を確認した。平窪の夏井川にも飛来し、少しずつ数を増やしているのではないか。だとしたら、田んぼにも――

そんな期待を抱いて、平窪の田んぼ道を行くと、白く大きな鳥が何羽もいる。遠目にはコハクチョウかシラサギか区別がつかない。

首を地面に近づけていた1羽がいる。ハクチョウだ! 車をバックさせたら、その鳥の首が急に長くなった。カミサンが「シラサギだよ、“ハクチョウ目”になっている」と笑う。

シラサギでも、くちばしは黄色いからダイサギだ。ダイサギとコハクチョウは首の長さで区別できる。ダイサギは細くて長い。コハクチョウも長いが、胴体からちょっと突き出たような感じ。ダイサギの首が地面をうかがうようにしていたためにコハクチョウと勘違いした。田んぼの白い鳥は、よく見るとすべてダイサギだった。

三島にも何羽かコハクチョウが来ているのではないか、と思ったが……。残留コハクチョウの「エレン」が川の中央で休んでいるだけだった。以前、えさをやる「白鳥おばさん」と会ったのは8時前。その時間に合わせて家を出たのだが、すれ違いだったようだ。

隠居では、フード付きのコートを着て、庭の畑に生ごみを埋めた。土いじりといえるのはそれだけ。朝食をとっていると、ラジオが9時のニュースで北海道に初雪が降ったことを伝えた。こちらは東北南端の太平洋側だ。冷たい雨が降り続いている。カミサンが石油ストーブをつけた=写真上1。この秋の初ストーブだ。

背中を温めたあとは、傘をさしてネギの苗床を観察する。1週間前と変化は見られない。なおも目をこらす。ん? 2~3ミリほどだが、黄緑色の突起がある。接写してデータを拡大すると、ヘアピン状=写真上2=になっている。ネギが芽生えたのだ。

周りにある黒い粒々は雨で土の布団をはがされたネギの種だろう。発芽率はどのくらいになるかわからない。が、今年(2021年)の種は発芽する力を持っていた。それを確認しただけでもホッとする。

あとは庭のあちこちを観察して回る。ツチグリは湿り気を帯びて殻を開いていた=写真上3。中央の袋に触れると胞子が飛び出した。

隠居滞在はざっと2時間。街へ下って、友人の個展をのぞき、図書館で調べものをしたあと、テイクアウトの弁当を買って帰宅した。やはり寒い。家でも今季初めてストーブをつけた。

2021年10月17日日曜日

対面でのおしゃべり

                      
 「ニュー碧空の会」というシルバーのサークルがある。圧倒的に女性が多い。知り合いが2人入っている。

 去年(2020年)の暮れだったか、今年の初めだったか、会長さんから電話があった。10月の講師を頼まれ、演題その他をファクスで送った。

 そのあと、新型コロナウイルスの感染が拡大した。公共施設が臨時休館に入り、再開されたと思ったら、また休館になった。

 ずいぶん先のことと思っていた10月も、いつの間にかやってきた。9月の終わり、会長さん宅に電話をすると、奥さんが出た。「主人は亡くなりました」。代わって、会長代行さんから電話が入った。「9月末でいわき市の『まん延防止等重点措置』が終わるので、予定通り実施する」という。このへんの経緯は前に書いた。

 演題は「吉野せい『洟をたらした神』を読み解く」にした。近所に住むカミサンの高校の同級生にレジュメを渡して、当日、コピーを配ってもらった。

 おととい(10月15日)、25人ほどの前でおしゃべりをした。対面だから、表情がよくわかる。全体を見渡しながらなので、時間配分もそれなりにうまくいった。

 『洟をたらした神』は昭和50(1975)年、田村俊子賞と大宅壮一ノンフィクション賞を受賞する。前者は「女流作家のすぐれた作品」に贈られる。文字通り、『洟をたらした神』を文学作品として評価した。後者はノンフィクション賞、現実の生活体験を独特の文体で表現したことが高く評価された。

 『洟をたらした神』が本になったあと、せいは盟友の草野心平にはがきを出す。「身辺雑記とけなされてしまうことだけは悲しいと思います」。身辺雑記=「生活手記」を越えた「文学」を書いたという自負がのぞく。

『洟をたらした神』の注釈づくりをしていると、生活手記のスタイルをとった小説、つまり大宅壮一ノンフィクション賞より田村俊子賞が重みを増してくる。せいの真情もまたそこにあったのではないか――といったことを話した。

 対面でのおしゃべりに先立ち、日曜日(10月10日)に、やはり再開されたばかりの市立草野心平記念文学館へ行った。「新収蔵品展」が前日に始まった。

企画展とは別に、スポット展示でせいの作品「梨花」を取り上げている。作品の元になった文章を記した日記帳が展示されている。A4判を半分にしたくらいの大きさだった。それも強く印象に残った。

 さらに、図書館のホームページを開き、「郷土資料のページ」でいわき民報の記事を閲覧した。昭和50年3月8日付社会面に「『洟をたらした神』に田村俊子賞/“面くらった”吉野さん/18日授賞式 立会人に草野心平氏」の記事が載る=写真。26歳の私が75歳のせいさんを取材して書いた。女性なのに「古武士」然とした印象を受けた、という話もした。

「いわきツーリズムガイド養成講座」(10回シリーズ)が9月にオンラインで開講した。いわき観光まちづくりビューローが主催し、いわき地域学會が協力している。

私も11月初旬に話す。レジュメを郵送したら、連絡がきた。10月からは文化センターでの講座に切り替わった。やはり、オンラインよりは対面がいい。

2021年10月16日土曜日

『誕生鳥辞典』

           
 4年に1回、うるう年がくる。2月が1日増え、1年が366日になる。2月29日生まれの人も忘れずに加えた『366日誕生鳥辞典――世界の美しい鳥』(いろは出版、2021年)=写真=を、図書館から借りた。

日本の鳥ももちろん入っている。ひとことでいうと、鳥は美しい、そしておもしろい。不思議でもある。上野動物園の元園長・小宮輝之さんが文章を、画家の倉内渚さんが絵を担当した。

世の中には誕生石や誕生花がある。ならば誕生鳥があってもいいのではないか、というのが動機だったとか。

私たちがふだん目にする鳥は、カラスやスズメ、ヒヨドリ、ドバトぐらいだ。ハデな色でもなく、キバツな形をしているわけでもない。ところが、世界に目を転じると、「なんだ、これは……」という鳥がいっぱいいる。

鳥にまつわる記念日がたくさんある、国鳥を選定している国がある、国旗に鳥を描いている国がある。それぞれの独立記念日などに合わせて鳥を選んだ。さらには、かかわりのある月日や季節を選び、宝石の名を冠した鳥はそれぞれの月の誕生石にあわせた――と後書きにある。

とりあえず自分の誕生鳥を見たら、11月19日・コンゴウインコだった。中南米を代表する赤、青、黄色が鮮やかな大型のインコで、先住民はこの鳥の羽を祭礼の冠や飾りに利用している。「多くはひなのうちから飼い慣らし、毎年換羽の時期に落ちる羽を集積したもの」だとか。これだとインコと共存できる。

「なんだ、これは……」の筆頭は、4月12日・カタカケフウチョウの雄。雌に見せるディスプレイが変わっている。

一見、真っ黒いかたまりが雌の前にできる。その中に青い口のようなものが裂けて広がり、同じ青色の目のようなものが二つちょこんとつく。ジブリ作品に出てくる「ススワタリ(まっくろくろすけ)」を連想した。ススワタリを横に伸ばして、目と口を青くした感じ、といったら近いか。

5月3日・アカミノフウチョウ(雄)の色彩、同22日・キジオライチョウ(雄)の胸の奇妙なふくらみも印象に残る。

さて、いわきの山野との関連ではどうか。6月2日・アカショウビンは夏鳥だ。夏井川渓谷でこの四半世紀に1回だけ鳴き声を聞いた。旅の途中に一休みしたのだろう。

4月20日・カッコウはもはや、夏井川下流域(平野部)への飛来をあきらめたようだ。夏の夜明け、標高600メートルほどのいわきの里鬼ケ城(川前)へ行かないと鳴き声を聞くことができない。そんな希少種になった。4月20日が誕生鳥なのは、その日が「国際カッコウデー」だからだそうだ。

台湾を訪れたとき、映画「非情城市」の舞台になった九份でシロガシラを見た。俗に「ペタコ」と呼ばれている。まど・みちおさんの「蕃柘榴(ばんざくろ)が落ちるのだ」という詩に出てくる。
「どこからかペタコもやってきて/ぴろっ、ぴろっ、と啼いては/黄色い玉を/ぽとり、ぽとり、落とすのだ」

台湾の国鳥はヤマムスメ。これにも一度会いたいと思っている。残念ながらシロガシラもヤマムスメも『誕生鳥辞典』には載っていない。

2021年10月15日金曜日

「新聞打者」の落とし穴

                      
 リタイア後も地域に根っこを生やした「新聞記者」のつもりでブログを書いている。その意味では「記者生活50年」になる。

 アナログ人間である。その人間がデジタル社会のなかで何を心に留めているかというと、メモは「手書き」で通すこと、これだけ。

 1990年代半ばには、地域新聞社も原稿製作が「手書き」から「パソコン入力」に切り替わった。そのとき、新聞記者は「新聞打者」になった。

書くということは、自分の脳内に文字を浮かび上がらせ、腕から手、指へと伝え、鉛筆あるいはボールペンを使ってそれを紙に記す、きわめて肉体的な行為だ。その行為の繰り返し、経験が体に蓄積されて次に生かされる――と私は思っている。

 記事の書き方がアナログからデジタルに変わり、新聞記者が新聞打者になって何が起きたか

文章を書き直すのに、原稿用紙をクシャクシャにしてくずかごにポイッ、がなくなった。原稿の修正が楽になった。過去のデータもすぐ引き出せる。半面、生身の体は、脳はなにか大切なものを失ったような気がしてならない。

たとえば「薔薇」の字、これが書けなくなった。キーボードで入力すると、パソコン画面に候補の漢字が現れる。記者は(一般の人もそうだが)「薔薇」を選択するだけでよくなった。

「書く」ことをやめて、外部に映る漢字を「選ぶ」だけになった結果、漢字がどんどん自分の脳からこぼれ落ちていく――そんなイメージを抱くようになった。

私は、パソコンを「外部の脳」、自分の脳を「内部の脳」と区別して考える。外部の脳に文章の処理を任せるようになってから、内部の脳はすっかり書くことから遠ざかった。

人間の脳は、使わなければ退化する、パソコンやスマホが普通になった今、人間の脳はこれから小さくなっていくのではないか、といった危惧を抱かざるを得ない。

 それを避けるために、意識して実践しているのがメモの手書きだ。在宅ワークが基本なので、パソコンのわきにA4判のメモ用紙(新聞に折り込まれる「お悔やみ情報」の裏面)を常備している。朝から夜寝るまで、見たこと・聞いたこと・感じたこと・考えたことをメモし続ける=写真

日常を記録することで、日常に埋もれているニュースを掘り起こすこともできる。一種の自己鍛錬として、これを10年以上続けている。

 書くことは肉体的な行為だ。書く習慣が薄れると考える力も衰える。アナログ人間だからこそわかるデジタル文化の落とし穴といってもよい。

 アンデシュ・ハンセン/久山葉子訳『スマホ脳』(新潮新書)にこんな一節がある。子供は「ペンを使って練習をすることで文字を覚えていく。就学前の子供を対象にした研究では、手で、つまり紙とペンで書くという運動能力が、文字を読む能力とも深くかかわっている」

「書く」という運動能力、つまりは肉体的な行為と「読む」能力は密接な関係にある。大人だって「書く」ことをやめたら、識字力は衰える。