「ニュー碧空の会」というシルバーのサークルがある。圧倒的に女性が多い。知り合いが2人入っている。
去年(2020年)の暮れだったか、今年の初めだったか、会長さんから電話があった。10月の講師を頼まれ、演題その他をファクスで送った。
そのあと、新型コロナウイルスの感染が拡大した。公共施設が臨時休館に入り、再開されたと思ったら、また休館になった。
ずいぶん先のことと思っていた10月も、いつの間にかやってきた。9月の終わり、会長さん宅に電話をすると、奥さんが出た。「主人は亡くなりました」。代わって、会長代行さんから電話が入った。「9月末でいわき市の『まん延防止等重点措置』が終わるので、予定通り実施する」という。このへんの経緯は前に書いた。
演題は「吉野せい『洟をたらした神』を読み解く」にした。近所に住むカミサンの高校の同級生にレジュメを渡して、当日、コピーを配ってもらった。
おととい(10月15日)、25人ほどの前でおしゃべりをした。対面だから、表情がよくわかる。全体を見渡しながらなので、時間配分もそれなりにうまくいった。
『洟をたらした神』は昭和50(1975)年、田村俊子賞と大宅壮一ノンフィクション賞を受賞する。前者は「女流作家のすぐれた作品」に贈られる。文字通り、『洟をたらした神』を文学作品として評価した。後者はノンフィクション賞、現実の生活体験を独特の文体で表現したことが高く評価された。
『洟をたらした神』が本になったあと、せいは盟友の草野心平にはがきを出す。「身辺雑記とけなされてしまうことだけは悲しいと思います」。身辺雑記=「生活手記」を越えた「文学」を書いたという自負がのぞく。
『洟をたらした神』の注釈づくりをしていると、生活手記のスタイルをとった小説、つまり大宅壮一ノンフィクション賞より田村俊子賞が重みを増してくる。せいの真情もまたそこにあったのではないか――といったことを話した。
対面でのおしゃべりに先立ち、日曜日(10月10日)に、やはり再開されたばかりの市立草野心平記念文学館へ行った。「新収蔵品展」が前日に始まった。
企画展とは別に、スポット展示でせいの作品「梨花」を取り上げている。作品の元になった文章を記した日記帳が展示されている。A4判を半分にしたくらいの大きさだった。それも強く印象に残った。
さらに、図書館のホームページを開き、「郷土資料のページ」でいわき民報の記事を閲覧した。昭和50年3月8日付社会面に「『洟をたらした神』に田村俊子賞/“面くらった”吉野さん/18日授賞式 立会人に草野心平氏」の記事が載る=写真。26歳の私が75歳のせいさんを取材して書いた。女性なのに「古武士」然とした印象を受けた、という話もした。
「いわきツーリズムガイド養成講座」(10回シリーズ)が9月にオンラインで開講した。いわき観光まちづくりビューローが主催し、いわき地域学會が協力している。
私も11月初旬に話す。レジュメを郵送したら、連絡がきた。10月からは文化センターでの講座に切り替わった。やはり、オンラインよりは対面がいい。
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