2021年11月7日日曜日

小島時代の猪狩満直

  いわき市好間町川中子(かわなご)出身の詩人猪狩満直(1898~1938年)の次男洋(よう)さん(東京)から、同人誌「別嬢」第114号の恵贈にあずかった。洋さんが「猪狩満直の北海道撤退と再渡道と詩集『秋の通信』を出した頃」と題して寄稿している。

満直は大正14(1925)年春、養父との確執から脱するため、「補助移民」となって、北海道阿寒郡舌辛村二五線(阿寒町丹頂台)の高位泥炭地に入植する(北海道文学館編『北海道文学大事典』)。しかし、苛酷な開墾生活のなかで妻を亡くし、再婚、開墾には成功するものの、土地と家屋などを手放して帰郷する。

その後、再渡道したが生活のめどが立たず、家族と平町郊外の内郷村小島地区に移り住む。詩集『秋の通信』はそのころの作品を収める。『猪狩満直全集』(猪狩満直全集刊行委員会、1986年)で読むことができる。

『秋の通信』は昭和9(1934)年2月1日、北緯五十度社から刊行された。大きさは縦16.8センチ、横12.5センチ。新書をやや横長にした感じで、表紙以外はガリ版印刷だ。発行者は日本の近代詩史に欠かせない更科源蔵(北海道)、同じく印刷者は真壁仁(山形)で、ともに跋文(あとがき)も書いている。

 ちょうど「作家吉野せいと内郷」についておさらいを始めたところだった。せいの夫・吉野義也(三野混沌)と満直は盟友、せいも作品集『洟をたらした神』のなかで満直を取り上げている。

「かなしいやつ」がそれで、「彼は養鶏業で生活をたてなおそうとした。はじめてみたが、当然資金の継続の見通しはうすく、彼は何でもやった。(略)そして生活詩集『秋の通信』を書いた」。このあたりの記述が満直の小島時代を指していることを、ようやく実感できた。

土地に根ざした「場所の文学」ということを考える。『洟をたらした神』は「菊竹山の文学」、『秋の通信』は「内郷村小島の文学」。こんな学問分野が確立しているかどうかはわからないが、「文学地理学」に引かれる。

さて、洋さんは全集と重ね合わせながら、自分の小島時代を回想する。「そこは電気は無く、ランプの生活だった。そこでの生活は子供達にとっては楽しいところだった。里山の麓には清水が流れ、沢蟹等も居り、小高い丘には山野草が咲き、薬草取りを母親としたことが思い出される」

『猪狩満直全集』を手に取り、小島時代の詩・随筆・小説を読む。年譜を確かめる。生後半年余りで亡くなった四男鉄を悼む小説「幼児とその父」には厳粛な気持ちになった。

ちょうど3年前、いわき市立草野心平記念文学館で開館20周年記念秋の企画展「生誕120年記念猪狩満直展」が開かれた。図録に、満直が音頭を取った小島の「共同田植え」の写真が載っている。小島時代を象徴する重要な資料といってもいい。

写真の右隣には宮沢賢治の遺言によってつくられた「国訳妙法蓮華経」で、賢治の弟清六から満直に贈られた。満直は草野心平と共に、生前の賢治を高く評価していた一人だった。(写真は満直が描いた絵などの絵はがき。満直の才能の一端を垣間見ることができる)

2021年11月6日土曜日

足がグラツキ―!

        
 このごろ、立ってズボンをはくとグラつく。昔は一本足でも平気だった。散歩をやめて何年にもなる。老化も手伝って、足の筋肉が衰えた。

ズボンに足を入れて引っかかって倒れそうになったとき、ついおやじギャグが口から出た。「足がグラツキ―!」

いちおうグラツキ―という人間の顔が脳裏に浮かんでいた。アレクサンダー・グラツキ―。崩壊前のソ連で人気のあったロック歌手だ。

勤めていたいわき民報で、昭和62(1987)年6月末から平成6(1994)年9月までの7年余、週1回、「みみすのつぶやき」というタイトルでコラムを書いた。平成3(1991)年5月1日付でグラツキ―について触れている。

テレビで彼の歌を聞いた。ロシア民謡にも似た、重く大きな哀愁に感動して、レコード店へCDを買いに行った。3店目でやっと手に入れた。「ソング」が彼の代表曲らしい。生前は会えなかったが、敬愛する詩人を友と呼んでしのんでいるオリジナル曲だ。声域3オクターブ半、大地から大空へとせり上がるような歌い方に圧倒された。

CDにはほかに、「イマジン」「明日に架ける橋」などのカバーヴァージョンやアリアが入っている――といったことを書いたあとに、「ペレストロイカが運んできたソ連の歌声は、しかしロックというには暗すぎる。ソ連の絶望的な状況を思えば、彼は一層悲しく同胞を歌で励ますしかないのだろう」と締めくくっている。30年前のその年の暮れ、ソ連は崩壊した。

一本足の話に戻る。グラついたときにグラツキ―を思い出しただけではなかった。『なぜツルは一本足で眠るのか』という本の題名も思い浮かんだ。ツルだけではない、サギやハクチョウも一本足で休んだり、眠ったりする。なぜ彼らは一本足でもグラつかないのか。

まだ暑さが残る秋のある日、渡辺町の大沢隧道を見に行ったら、釜戸川に架かる橋の欄干にアオサギが止まっていた=写真。あとでデータを拡大すると、一本足で立っていた。

ハクチョウが日中、片足で眠っているところを書いた3年前のブログがある。それを要約する。

――わが生活圏の平・塩~中神谷では、11月に入ると12羽のコハクチョウが姿を見せるようになった。つがいと子ども合わせて4~5羽が一単位のようだから、3家族の群れだろうか。そのグループに誘われるように、50羽前後が川の中州や浅瀬にちらばっていた。

先着の12羽のうち、座りこんだ1羽と幼鳥2羽を除けば、9羽が一本足で昼寝をしていた。

へたりこんでいた1羽が立ち上がる。と、歩くたびに体が左に傾く。ほかの仲間が片足を翼に隠しているのに、彼(あるいは彼女)は両足のままだ。左足をけがしていて、上げられないのか。どこでけがをしたのだろう。シベリアは生まれ故郷、白夜のツンドラで? 渡りの途中のサハリン(樺太)で? 北海道のクッチャロ湖で?――

幼鳥はたまたまへたり込んでいただけだろう。ネットで検索すると、一本足で眠る幼鳥の写真もアップされている。サギやハクチョウは最初から一本足でもグラつかない構造になっているわけだ。鳥にはなれないが、なんとかその秘訣を知りたいものだ。

2021年11月5日金曜日

『ザリガニの鳴くところ』

                                 
 月遅れ盆のあと、旧知のKさん(平)から、いわき民報社経由でディーリア・オーエンズ/友廣純訳『ザリガニの鳴くところ』(早川書房、2020年)が届いた。

 新型コロナウイルス問題で図書館など公共施設の臨時休館が続いた。休館前に『ザリガニの鳴くところ』を借りに行ったら、一足違いで「貸出中」に替わった。そのことをブログに書くと、Kさんが目に留めて貸してくれた。

 メモが入っていた。あとからはがきも届いた。最後の部分が大事なので、急がずに、ゆっくり読んでください。ほかに読みたい人がいれば、そちらへ回して――。アドバイスに従って、時間をかけて読んだ。

小説の舞台はアメリカ・ノースカロライナ州の海岸部にある湿地。ジャンルでいえばミステリーだ。主人公は女の子のカイア。カイアの人生を縦糸、カイアがからむ殺人事件を横糸にして物語が展開する。

カイアは湿地の家に住む。父親の暴力で母親が去り、兄や姉たちが去る。父親もカイアが10歳を過ぎたころに蒸発する。

湿地の家に取り残されたカイアは、学校へは行かない。行ったのだが、同級生にいじめられて一日でやめた。ムール貝を採ってわずかな現金を得、菜園で野菜を育てながら、自給に近い生活を続ける。やがて、年上の男の子・テイトがカイアのもとに通って読み書きを教える。

野鳥の羽や貝殻、虫、花……。文字を知り、標本に正確なラベルを付け、精密な絵を描く。のちに原生動物の研究者になったテイトの口利きで、カイアの絵を収めた最初の本『東海岸の貝殻』が出版される。続いて、『東海岸の鳥』やキノコの本なども刊行される。

若いとき、カイアに近づき、カイアを捨てた青年が死んで見つかった。警察は殺人事件と断定した。カイアは逮捕され、裁判にかけられたが、無罪になって放免される。

テイトとカイアはその後、一緒に暮らし、穏やかな日々を重ねて年老いる。カイア、64歳。いつものようにボートで潟湖へ標本を探しに出た。が、なかなか帰ってこない。テイトが探しに行くと、ボートのなかで息絶えていた。幸せな死というべきか。

そのあと、殺人事件に絡むどんでん返しが待つ。さらに別のどんでん返しも。作中、地元紙に掲載されたアマンダ・ハミルトンという詩人の詩が挿入される。カイアがペンネームで投稿していたのだった。もう一度、その詩を味わうためにも読み返さないと――そんな思いになった。

ミステリーはともかく、カイアと自然とのかかわりがこの本の醍醐味には違いない。自然の描写だけでも、ヘンリー・ソローの『森の生活』以来のネイチャーライティングとしての魅力にあふれている。

そして最後、本のタイトルについて。カイアの母親がいつもこういって湿地を探検するように言ったという。「できるだけ遠くまで行ってごらんなさい――ずっと向こうの、ザリガニの鳴くところまで」。テイトの解釈はこうだ。そこは「茂みの奥深く、生き物たちが自然のままの姿で生きてる場所ってことさ」

そうそう、オーエンズは子どものころから小説を書くのが夢だった。動物行動学の博士は、それを70歳になって実現した。アメリカの吉野せいだったのだ。

2021年11月4日木曜日

45回目の命日

                     
 きょう(11月4日)は作家吉野せいの45回目の命日だ。亡くなってちょうど4年後の昭和56(1981)年11月4日、写真家草野日出雄さん(小名浜)が『グラフィック版 吉野せい文学アルバム』(はましん企画)を出した=写真。

 小名浜出身のせいは吉野義也(三野混沌)と結婚し、好間の菊竹山で果樹農家として生きた。詩を書き、人のために奔走する夫に代わって、生業も家事も子育てもせいが担った。

夫の死後、半世紀の間封印していた文筆活動を再開し、作品集『洟をたらした神』を出す。同書は昭和50(1975)年、田村俊子賞と大宅壮一ノンフィクション賞を受賞する。世間は「百姓バッパ」の壮挙にわいた。

晩年のせいと親交のあった写真家だけに、『グラフィック版――』にはせいが直接語った言葉も書き留められている。「樹は私に語りかける。だからどの枝を切り、どの枝を残すかは、樹の語りかけに応じてするの」

亡くなる1年前、写真家が執筆するせいの姿を撮影する。「実際ものを考え、そして書いて下さい」。写真家の求めに応じて、20枚余の写真を撮る30分の間に、せいは200字ほどの文章を書いた。

「美しい筆跡に一字の訂正もなく自分自身を書き綴った。『私はかく病んでいる。病む脳は何か』。ここで終った文章の次はなんと書こうとしたのだろう」

このときの写真が、朝日新聞の死亡記事(昭和52年11月6日)に使われている。

『グラフィック版――』には、撮影時の直筆原稿も載る。『洟をたらした神』でいえば、作品「夢」にも通じる心象について記した短文だ。「幻想ではない幻想」「毎夜のように欠かさず見る夢の断片」「知らない風景」といった言葉が連なる。

そうした心象が「現実よりもより鮮明なのはどうした頭のはたらきなのか」と自問し、草野さんが紹介した最後の文章「私はかく病んでいる。病む脳は何か」に続く。

『洟をたらした神』の注釈づくりをしている。詩人猪狩満直の思い出をつづった「かなしいやつ」や、終戦直後を題材にした「いもどろぼう」などは、現実の歴史に照らし合わせて分析・解釈することができる。

が、「夢」は手強い。夢そのものの解釈もそうだが、ギリシャ神話が出てくる。古典が相手だ。全く注釈が進まないのはそのため。とはいえ、『グラフィック版――』の直筆原稿が、「夢」の注釈づくりの入り口にはなりそうだ。そんな感じがしないでもない。

さて、土曜日(11月6日)はいわき市立草野心平記念文学館で第44回吉野せい賞の表彰式が行われる。今年(2021年)は水準の高い作品がそろった。4年ぶりに正賞(せい賞)が出た。準賞、奨励賞、青少年特別賞のほかに、選考委員会特別賞もある。

 5人の選考委員を代表して選評と総評を述べる。それが終わればまた、『洟をたらした神』に戻って注釈づくりを続ける

2021年11月3日水曜日

飛べるようになったとか

                     
 11月に入るとすぐ、小川町のSさん(白鳥おばさん)から電話があった。残留コハクチョウの「エレン」=写真=が飛べるようになったという。声をかけると、仲間と一緒に飛んで来る。「来春はみんなと北極圏へ戻れるんじゃないかな」。うれしい知らせだった。

 小川町では三島地内の夏井川でハクチョウが越冬し、3月になると北へ帰る。ところが、今年(2021年)は1羽がけがをして残留した。それに気づいたのは3月27日の土曜日早朝だった。

 朝めし前の土いじりをしに、夏井川渓谷の隠居へ出かけた。途中、三島で道路と夏井川が並走する。川のカーブを利用した小川江筋の取水堰(ぜき)がある。その上流がハクチョウの越冬地だ。そこに1羽、ハクチョウがいた。右の翼が少しおかしかった。

1週間後もいれば、けがをして飛べなくなったコハクチョウだということがはっきりする。4月4日の日曜日朝、隠居へ行く途中に見ると、やはりいた。間違いない、けがをして残留したのだ。

地元のSさんが毎朝夕、えさ(玄米)をやる。それを知ったのは6月中旬。隠居へ行く途中、Sさんがいたので話すと、ハクチョウに「エレン」という名前を付けていた。

いわき民報にブログと連動したコラム「夕刊発磐城蘭土紀行」を連載している。「夕刊発――」にもエレンの話が載った。その新聞をSさんが見た。

8月18日早朝。隠居へ出かけてキュウリを摘んだ帰りの7時過ぎ、エレンのいる三島に着くとSさんがいた。目が合った瞬間に「吉田さん?」。以来、「エレン」を仲立ちに、つながりができた。

 「三島にハクチョウが現れた」。10月10日にもSさんから電話があった。翌日、隠居へ行く途中、飛来した仲間と一緒にいるところを写真に撮った。さらに、10月25日は朝、三島で3羽(うち1羽は残留コハクの「エレン」)を確認した。

 そして、11月1日。冒頭のような電話が入った。Sさんは、自分のほかに、道路のそばに住むMさんもえづけをしていることを教えてくれた。Mさんとは、2013年11月下旬、エサをやっているときに出会って、少し話した

そのときのブログの抜粋。――朝8時過ぎ。コハクチョウがひしめいていた。そばを走る国道399号から水面までは、5メートルはあろうか。Mさんがガードレールのそばから「おはよう、おはよう」とハクチョウたちに大声で呼びかけながら、えさのクズ米をまいていた。

朝晩の2回、彼らにえさをやっているのだという。クズ米はだれかがえさ置場に持ってきてくれる。以前は右岸でえさを与えていたが、砂にまみれて食べづらそうだったため、左岸擁壁の上からまくようにしたという――。

 SさんやMさんのような人がエレンを見守ってきた。何十羽も飛来するようになった今は、「エサが足りない」(Sさん)くらいだという。なにはともあれ、よかった、よかった。

2021年11月2日火曜日

リンゴのようなカリン

           
 プラム、高田梅、カリン。夏井川渓谷の隠居の庭に植えた実の生(な)る木だ。プラムは早い段階でキノコのカワラタケの仲間にやられ、高田梅も剪定を続けているうちに、一部、カワラタケの仲間が生えてきた。

カリンだけは元気で、秋になるといっぱい実=写真=をつける。今年(2021年)はリンゴのように大きくなったものもある。

 カリンはかりん酒か砂糖漬けにするといいらしい。生のままでは硬くて食べられない。で、実が生ってもそのままにしてきた。

 今年は、カミサンが隠居へ行くたびに収穫している。喜んでもらう人がいる。かりん酒とジャムにするのだという。

すると、これは自然からのお福分けのリレーだ。使ったものをあげるわけではない。原材料の提供で、かりん酒になって戻ってくればサイクルになる?――なんてことを考えたのは、テレビで「アップサイクル」という言葉を知ったからだ。

リサイクルという言葉には、それこそ何十年も前からなじんでいる。その延長でアップサイクルがある。ダウンサイクルもあるという。

 土曜日(10月30日)の夜、BSプレミアムが生中継で「恋しいパリ」を放送した。私は途中で寝てしまったが、「あとでキノコも出てきた」とカミサンがいう。

パリに住む日本の元女子アナ3人(NHK出身1人、民放出身2人。いずれも中高年世代なら「ああ」となる人気アナだった)が、あれこれ「パリの今」を伝える。そのなかでアップサイクルの事例が紹介された。

一夜明けても、頭にアップサイクルが残っていた。リサイクルを古い概念のままにしておくわけにはいかない。ネットで検索を続けた。

歴史のある古い建物に新しいものを取り入れて存続させる、年代物の洋服を生かして別の物をつくる――いろんなアップサイクルがある。いわゆる「蔵カフェ」、あるいは日本の伝統的な「裂き織り」。これなどはアップサイクルの事例に入るらしい。

ダウンサイクルの説明にはちょっと首をかしげた。Tシャツを雑巾に、新聞紙を再生紙にする――そういったことが事例として挙げられている。

雑巾・再生紙はTシャツ・新聞紙よりは価値が下がり、いずれゴミになる。だから、ダウンサイクル? アップサイクルだっていずれはゴミになるだろう。捨てずに使い切るという視点でいえば、否定されるものではないはずだが。

ポイントは、リサイクルするのに「原料」に戻したり、「素材」に分解したりするためのエネルギー使用がないこと、そのへんらしい。

そのままの形をなるべく生かす、地球への負荷を抑える、そういう方向でのリサイクルへアップグレード(質の向上)すること――となれば、SDGs(持続可能な開発目標)とも連動する。

カリンの実を眺めながら、アップサイクルを、ダウンサイクルを考えるとは思いもしなかった。カリンは甘い香りが特徴だという。一度はかりん酒を飲んでみたい気もするが……。

2021年11月1日月曜日

投票して隠居の畑へ

        
 衆院選の投・開票がきのう(10月31日)行われた。いつもは期日前投票をすませて、投票日当日はのんびり夏井川渓谷の隠居で過ごすのだが、今回は朝食前に最寄りの小学校の体育館へ行って投票した。

投票所には立会人が2人いる。9月に行われたいわき市長選では、私がその1人を務めた。

朝7時前、投票箱に何も入っていないことを有権者自身に確かめてもらって投票がスタートする。それから夜7時後の投票箱閉鎖・施錠~開票場の総合体育館へのタクシー搬送まで、ざっと12時間余の公務が続く(いわき市は締め切り時間を繰り上げており、午後6時終了のところもある)。

去年(2020年)のいわき市議選では、北隣の区長が立会人だった。北から南へとくれば、今度は西隣の区長? それとも、学校の裏山を越えたところに二つある区のどちらかの区長?――同情と激励と興味がまじりあって、当日投票を選んだ。立会人は西隣の区長だった。

市長選と違って、総選挙では小選挙区、比例代表、最高裁裁判官国民審査と投票が3回続く。

色で用紙を区別しているが、比例代表と国民審査は同時に渡される。ここで少しとまどう。それをフォローするように、今回は立会人の1人がこの二つの投票箱近くにいた。

いったん帰宅し、朝食をとったあとはゆったりした気分で小学校の前を通り、いつもの田んぼ道を利用して渓谷の隠居へ向かった。

まずは小川・三島地内の夏井川でハクチョウの様子を見る。今季初めて、150羽前後の大群が羽を休めていた。若い家族連れなどが何組か対岸でえさやりをしていた。

隠居に着けば、まずは畑仕事だ。生ごみを埋める。小白井きゅうりの支柱とテープをばらす。三春ネギのうねの草をむしる。県道と庭の境界に並ぶモミの木の根元に目をこらす。

それが終わって初めて対岸を見る。1週間前に比べると、山全体がいちだんと紅葉している。春にアカヤシオの花を咲かせる尾根を中心に、赤~黄色のグラデーションが美しい。県道沿いに生えるカエデも紅葉が始まった。

10月から11月へ――。自分で育てている昔野菜の「三春ネギ」は、11月になったら食卓にのせると決めていた。

畑仕事の最後に、小~中のネギ8本を引っこ抜いた。今季の初収穫だ。これはまず、ジャガイモとネギの味噌汁=写真(2020年2月19日撮影)=になって出る。

モミの木の根元に生えるアカモミタケも3週連続で収穫した。1週間前はけんちん汁に入れた。今回もそうする。

隠居で早い昼食をとったあとは、山を越えて三和のふれあい市場に寄り、その足で好間・榊小屋へ下り、「生木葉」の直売所でけんちん用のニンジン・里芋その他を買った。

早朝に投票をすませたおかげで、一日、心おきなくマイクロツーリズムを楽しむことができた。