きょう(11月4日)は作家吉野せいの45回目の命日だ。亡くなってちょうど4年後の昭和56(1981)年11月4日、写真家草野日出雄さん(小名浜)が『グラフィック版 吉野せい文学アルバム』(はましん企画)を出した=写真。
小名浜出身のせいは吉野義也(三野混沌)と結婚し、好間の菊竹山で果樹農家として生きた。詩を書き、人のために奔走する夫に代わって、生業も家事も子育てもせいが担った。
夫の死後、半世紀の間封印していた文筆活動を再開し、作品集『洟をたらした神』を出す。同書は昭和50(1975)年、田村俊子賞と大宅壮一ノンフィクション賞を受賞する。世間は「百姓バッパ」の壮挙にわいた。
晩年のせいと親交のあった写真家だけに、『グラフィック版――』にはせいが直接語った言葉も書き留められている。「樹は私に語りかける。だからどの枝を切り、どの枝を残すかは、樹の語りかけに応じてするの」
亡くなる1年前、写真家が執筆するせいの姿を撮影する。「実際ものを考え、そして書いて下さい」。写真家の求めに応じて、20枚余の写真を撮る30分の間に、せいは200字ほどの文章を書いた。
「美しい筆跡に一字の訂正もなく自分自身を書き綴った。『私はかく病んでいる。病む脳は何か』。ここで終った文章の次はなんと書こうとしたのだろう」
このときの写真が、朝日新聞の死亡記事(昭和52年11月6日)に使われている。
『グラフィック版――』には、撮影時の直筆原稿も載る。『洟をたらした神』でいえば、作品「夢」にも通じる心象について記した短文だ。「幻想ではない幻想」「毎夜のように欠かさず見る夢の断片」「知らない風景」といった言葉が連なる。
そうした心象が「現実よりもより鮮明なのはどうした頭のはたらきなのか」と自問し、草野さんが紹介した最後の文章「私はかく病んでいる。病む脳は何か」に続く。
『洟をたらした神』の注釈づくりをしている。詩人猪狩満直の思い出をつづった「かなしいやつ」や、終戦直後を題材にした「いもどろぼう」などは、現実の歴史に照らし合わせて分析・解釈することができる。
が、「夢」は手強い。夢そのものの解釈もそうだが、ギリシャ神話が出てくる。古典が相手だ。全く注釈が進まないのはそのため。とはいえ、『グラフィック版――』の直筆原稿が、「夢」の注釈づくりの入り口にはなりそうだ。そんな感じがしないでもない。
さて、土曜日(11月6日)はいわき市立草野心平記念文学館で第44回吉野せい賞の表彰式が行われる。今年(2021年)は水準の高い作品がそろった。4年ぶりに正賞(せい賞)が出た。準賞、奨励賞、青少年特別賞のほかに、選考委員会特別賞もある。
5人の選考委員を代表して選評と総評を述べる。それが終わればまた、『洟をたらした神』に戻って注釈づくりを続ける。
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