2022年7月7日木曜日

作家リゴーニ・ステルン

        
 前にパオロ・コニェッテイ/関口英子訳『フォンターネ  山小屋の生活』(新潮社、2022年)を紹介した。

 コニェッテイは小説『帰れない山』で世界的に知られた現代イタリアの作家だ。30歳で仕事にも恋愛にも行き詰まり、アルプス山麓の山小屋にこもる。やがて、周りの自然と山岳民の暮らしに癒され、再びペンを執るようになる――。

 そのなかでイタリアの作家、マリーオ・リゴーニ・ステルン(1921~2008年)の作品を、たびたび取り上げている。

 コニェッテイを理解するには、まずリゴーニ・ステルンを知らねば――というわけで、図書館から志村啓子訳の『野生の樹木園』(みすず書房、2007年)と『雷鳥の森』(同、2005年)、そして第一作の大久保昭男訳『雪の中の軍曹』(草思社、1994年)=写真=を借りて読んだ。

 『雷鳥の森』の訳者あとがきによれば、リゴーニ・ステルンは21歳のとき、アルプス山岳部隊の一員として、ドン河をはさんでソ連軍と対峙した。「凄絶な雪の中の敗走。多くの仲間や上官を失い、身も心もぼろぼろになって、ようやく故国の土を踏む」

さらに、「ムッソリーニ失脚と同時にドイツ軍はイタリア侵攻を開始する」「パドリオ新政権が連合国と休戦協定を結んだまさにその日、リゴーニ・ステルンはドイツ軍に捕らえられ、ふたたび故郷から引き離される」。

 捕虜になったリゴーニ・ステルンは、やがて収容所を脱出し、アルプスの峠を越えてふるさとへ帰還する。

『雪の中の軍曹』はソ連軍からの敗走体験を基に書かれた。短編集『雷鳥の森』の「向こうにカルニアが」は捕虜収容所からの脱走~帰還を主題にしている。

 ソ連軍と戦ったと思ったら、今度は「きのうの友」ドイツ軍の捕虜になる。このへんの史実に疎い人間には、なかなか理解が及ばない。どうしても訳注が必要になる。それを読んでようやく戦争の現実が浮かび上がってくる。

 それはともかく、コニェッテイがリゴーニ・ステルンの作品をこよなく愛したのは、自然と人間の交流が濃密に描かれているからだろう。

 リゴーニ・ステルンが生まれ育ったのは北イタリアのアジアーゴ。標高1000メートルほどの東のアルプス山麓だ。一方、コニェッテイは標高1900メートルほどの西のアルプス山麓で山小屋生活に入った。

 リゴーニ・ステルンは戦後、「森の恵みを糧とし、畑を耕し、蜂を飼い、自然との共生を続けながら、戦争や狩猟、野生動物などをテーマとした作品を多く遺した」(『フォンターネ 山小屋の生活』訳者あとがき)

 コニェッテイも自然との交感の中から文章を紡ぎ出す。それが魅力的な理由の一つだが、リゴーニ・ステルンの作品からは、ロシアのウクライナ侵攻が続いている今、より深く戦争について考えさせられる。

 先日、アルプスの氷河が崩落して、登山客7人が死亡した、というニュースがあった。場所を確かめると、アジアーゴの北方、標高3000メートルを超えるマルモラーヌ山だった。リゴーニ・ステルンが生きていれば、温暖化も需要なテーマに据えていただろう。

2022年7月6日水曜日

「カヌレ」という食べ物

   「カヌレ」という焼き菓子=写真=を知ったのは、去年(2021年)の10月だった。カミサンの親類の子が「雑貨・クッキー・喫茶」の店を開いている。

 溝の入った表面は焦げ茶の焼き色が付いていて、少々固い。中はふわふわしてやわらかい。以来、ときどきカミサンが買ってくる。

たまたま若い知り合いが小学生になったばかりの息子を連れてやって来た。カミサンがこの焼き菓子を出すと、小学生がつぶやいた。「カヌレ」「おお、知ってるんだ」

年寄りがちゃんと名前を覚えきれない焼き菓子を、10歳にも満たない年齢で理解しているとは! 驚き、感心し、どんなおやつを食べているのか、興味がわいた。

 それから半年余りたつ。わが家でも、カヌレは見慣れた洋菓子になった。先日、県紙が毎週発行している情報紙に、調理技術専門学校の先生がカヌレのことを書いていた。カヌレの歴史や特徴がよくわかった。

 ウィキペディアなども加味していうと、フランスはボルドーの女子修道院でつくられたのが始まりらしい。「カヌレ・ボルドー」が正式な名前で、「カヌレ」は「溝のついた」という意味だとか。

 面白いのは、焼き菓子が生まれるまでの経緯だ。ボルドー地方はワインの名産地でもある。ワインの澱(おり)を取り除くために卵白が使用される。すると、卵黄が大量に余る。この卵黄を利用してカヌレが考案された、という。

 材料は、卵黄のほかに牛乳、バニラ、ラム酒、全卵、砂糖、小麦粉で、焼き上げることで「表面は黒く濃い焼き色が付き硬く香ばしいが、中はモチっとして柔らかくシットリとした食感」になる。

 ボルドー、そしてワインから浮かび上がってきた古い記憶がある。18歳のとき、フィリップ・ソレルス(1936年~)というフランスの若者が書いた「奇妙な孤独」という小説にのめり込んだ。その中にボルドーが、ワインが登場する。

「僕」と年上の「彼女」の恋愛をテーマにした作品で、その後、ソレルスをきっかけに、ヌーヴォー・ロマンといわれるフランス現代文学の世界をさまよった。

 ついでにいうと、カヌレの小学生は、そのとき「ゴジラ」の図鑑を手にしていた。それを借りてパラパラやると、ちょうどいわき市立美術館で開催中だったニューアートシーン・イン・いわき「西成田洋子 記憶の森」展の作品を連想させる怪獣がいた。

「これだ、これに似たのが、今、美術館にいるよ」。親子は、帰りに美術館へ寄って作品を見た。小学生はゴジラの延長で西成田作品を興味深く見ていたと、あとで連絡がきた。

  きょう(7月6日)は久しぶりの雨。朝からカヌレを食べる人もいるだろう。日本では1990年代にブームになり、最近では定番になりつつある焼き菓子だというから。 

2022年7月5日火曜日

大変な一日

                     
 「大変な一日」というタイトルをつけたが、携帯無線大手の通信障害に巻き込まれたわけではない。事故の発生時間はたぶん前後していたかもしれないが。

 土曜日(7月2日)の早朝6時前、夏井川渓谷の住人、Tさんから電話が入った。隠居の敷地と道路の境の柵が壊れているという。すぐ夫婦で確かめに行った。

柵は丸太を支柱に、一番上を角材でつなぎ、太い番線を3本、横に張ったものだ。アカヤシオ(岩ツツジ)が咲く春と、紅葉が美しい秋、行楽客が敷地に勝手に入り込むので、私有地であることをわかってもらう意味も込めて、知り合いの大工氏に頼んで柵を設けた。

朝はとんぼ返りをし、午前中、仲間といわき地域学會の仕事をしたあと、再び隠居へ出かけて警察の現場検証に立ち会った。

この暑さとのっぴきならない事態発生のために、土曜日はほとんど自分の時間がとれなかった。新聞も読まず、朝寝も、昼寝もする暇がなかった。大変な一日になった。

そのせいか、翌日曜日は隠居へ行って土いじりをする意欲がわかない。代わりに、たまった雑用をこなすことにした。

まず、道の駅よつくら港へ梅干しと野菜を買いに行き、平の街へ直行してあれこれ用を足し、昼は潮風に当たりたくて薄磯海岸へ車を走らせた。

四倉海岸の駐車場は朝の9時過ぎなのに満パイ状態だった。この暑さだもの、海開き前から海水浴客がやってきても不思議ではない――そう思っていたが、あとでSNSにサーフィン大会が開かれているという情報がアップされた。

薄磯の駐車場もけっこう車で埋まっていた。こちらは海水浴というか、波打ち際で水遊びをする家族連れやグループなどでにぎわっていた=写真。数としては120人余り、そんなところか。

午前11時過ぎ――。思ったより海風は弱い。海岸の北、賽の河原近くの波打ち際に横長の岩塊が露出している。「護摩(麻)磯」という。

そのあたりが、うっすらガス(海霧)に覆われていた。ガスがかかったと思うと晴れ、見通しがよくなったと思ったらまたガスがかかる、その繰り返しだ。

「大国魂神社は豊間の磯で、八剣神社は薄磯で、両二荒神社と白山神社は護麻磯で、佐麻久嶺神社は中屋の磯で、薄井神社は明神磯で行う」

『岩崎敏夫著作集4 村の生活聞き書』(名著出版、1991年)に、平方部の「オシオトリ」のことが書いてある。それを思い出しながら、磯のガスの揺らぎを眺めていた。

街へ出たために、上は半袖シャツ、下は長ズボンとよそ行きの格好だ。砂浜に立つと熱気がこみあげてくる。体から汗がにじみ出てくる。

カミサンは日傘をさして貝殻拾いをした。砂浜には2センチ前後の穴がいっぱいできていた。「この穴はなに?」。帰宅後、検索したら、スナガニがヒットした。正解かどうかはともかく、これでようやく気持ちがすっきりした。

2022年7月4日月曜日

筋肉の話

                      
 昔話の語り部をしている“お姉さん”が顔を見せた。ときどき四倉や久之浜で“仕事”があると、帰りに寄る。

 いつものように近況報告を兼ねて雑談した。筋肉の話で盛り上がった。ちょうどテレビのニュースで専門家が熱中症と筋肉の関係を解説したのを聞いたばかりだった。

 筋肉は水分の貯蔵庫。年寄りはコロナ禍による外出自粛で筋肉が衰えている。衰えた筋肉では水を貯められない。水を一度にたくさん飲んでも体内からすぐ出てしまうので逆効果。こまめに水分を補給することが大切、ということだった。

お姉さんは、こんな実話を披露した。ある年寄りを車に乗せたら、シートを倒して横になった。座っていると尻が痛いのだという。

年を取ると尻の筋肉が減る。すると、座っているより横になっている方が、痛みがないだけ楽になる。「在宅入院」のようなものだ。

そういえば、「在宅ワーク」に飽きると、座椅子を倒してすぐ横になる。そうやって本を読んでいることが多い。これも「在宅入院」と同じか。

パソコンに向かいすぎて腰のあたりが張ってくるせいもあるが、なんとなく尻の痛みを感じていることも理由の一つかもしれない。

では、筋肉の衰えをどうしたら抑えられるのか。お姉さんは朝のラジオ体操から始まって、散歩やスクワット、夜の風呂でのマッサージなどを日課にしているという。

私はといえば、トイレを利用するたびに、「腿(もも)上げ」に近い足踏みを50回やる、その程度で終わっている。

できれば朝夕、散歩を日課にすればいいのだろうが、実際、散歩をしていたころは筋肉の衰えを自覚することもなかったのだが、早朝からカンカン照り=写真=ではかえって危ない。

冬は冬で寒さが血管に影響しかねない。で、家の中での足踏みにとどめている、という次第だ。

学生時代は陸上競技部に所属していた。短距離系だったので、太腿は今の2倍はあった。逆に言えば、足の筋肉は若いときの半分に減った。

啄木は働いても暮らしが楽にならないと手を見たが、私はこのごろ、歩けばすぐ筋肉が酸欠になると、半ズボンから突き出た太腿を見る。

ついでながら、「散歩」という言葉は啄木が最初に使ったと、研究者で詩人の中村稔さんはいう。

平成20(2008)年夏、いわき市立草野心平記念文学館で開館10周年記念企画展「石川啄木 貧苦と挫折を超えて」が開かれ、中村さんが「啄木の魅力」と題して記念講演をした。

そのとき、啄木の短歌気弱なる斥候のごとくおそれつつ深夜の街を一人散歩す」を挙げて解説し、「散歩」は明治以降の新しい行為と語った。

足の筋肉を維持するには散歩が一番、とはわかっている。お姉さんの話を聞き、テレビの解説を聞いて、もう少し時間をかけて「足踏み」を増やさないと、という思いになった。

2022年7月3日日曜日

「夕立」とはなつかしい

 このごろ、テレビで気象予報士が「夕立」という言葉をよく使う。私が小学生のころは、夏は夕立が当たり前だった。なつかしい言葉ではある。

 朝は青空。やがて入道雲が天を衝(つ)くまで成長し、そのあと急に暗雲=写真=が空を覆って、雷雨が通過する。この梅雨は、とつい言いたくなるが、今年(2022年)の6月後半がそうだった。

これは小学校低学年、つまり昭和30年代前半の夏休みの記憶だ。そのころ、子どもたちは川で水浴びをした。川から帰ると、たびたび夕立がきた。

落雷を恐れて家の雨戸を閉め、電気を消して蚊帳のなかに避難する。仏壇の線香立てを廊下に持ち出し、線香に火をつけて雨戸のすき間から煙を外へたなびかせる。「雷様(らいさま)」よけのまじないだった。

「雷様にへそをとられるな」も大人の口癖だった。幼いときには金太郎のような腹巻きをさせられた。小学校に入ってからはランニングシャツをちゃんと半ズボンの中に入れるように言われた。怖い雷様を利用して、腹を冷やさないための戒めとしたのだろう。

夕立は夏の大事な気象だが、最近はほとんど縁がなかった。久しぶりに夕立を体験している思いがする。

前に「雷の道」について書いたことがある。それを抜粋する。根本順吉著『江戸晴雨攷』(中公文庫)のなかの「夕立」によると――東電管内、つまり関東圏には7つの「雷の道」がある。

東電の人間が落雷事故からルートを解明した。なかでも優勢なのが「赤城・榛名系統」の雷。北西から南東に進む。おおかたはその方向で移動する。で、「世界的に見ても関東地方は雷の多発地帯」なのだという。

夏井川渓谷の隠居でも激しい雷雨を経験した。雷が横に走るのを見た。音も光もすぐそばだ。雷雲の真っただ中にいる。地響きがして空気が震える。電気を消して縮こまっているしかなかった。

近くの水力発電所に勤めていた集落の長老によると、夏井川渓谷近辺には二つの「雷の道」がある。一つは、白河あたりで発生した雷雲が久之方面に抜けるルート。もう一つはより北側、会津方面からやってきたのが木戸川(楢葉町)あたりに抜けるルートだ。

怖いのは「白河―久之浜」線だという。直撃を受ける可能性がある。「会津―木戸川」線の場合は、遠雷ですむ。

 この話を書いたのは12年前の5月。北関東で竜巻被害が出たときだった。竜巻は、関東にある七つの「雷の道」とは進路が異なり、つくば市でも、栃木県でも南西から北東へ突っ走った。しかし、これはたまたまだろう。「竜巻の道」はどこにでもできる。

 竜巻はそのころから、「テレビで見るアメリカの話」ではなくなった。大災害を引き起こす「現実」になった。現に、近ごろは竜巻注意報がしょっちゅう発表される。 

2022年7月2日土曜日

猛暑と糠床

                      
 東北南部の梅雨は最短の14日間、しかも観測史上初めて、6月中に明けた。「梅雨寒」もなく、真夏のような猛暑が続いている。この異常気象が、わが暮らしの現場にも影響している。

 わが家の漬物は私がつくる。冬は白菜漬け、夏は糠漬け。1年をざっと二つに分けると、そうなる。

 糠床は冬場、食塩のふとんをかぶって眠っている。毎日、糠床をかき回して乳酸菌の活動をコントロールするのだが、冬は糠味噌が冷たくてかき回すのが嫌になる。で、食塩をかぶせて冬眠させる。

 これまでの目安は、春の大型連休明けが糠漬け再開の時期だったが、年々早まって、今は4月中旬に糠漬けを再開する。今年(2022年)もそうだった。4月下旬には最初の糠漬けが食卓に上った=写真。

 もう1年の半分が終わった。暦の上では真夏はまだ先だが、梅雨入り前後(6月中旬)から、糠床の表面にポツン、ポツンと白く産膜酵母が見られるようになった。

産膜酵母は耐塩・好気性がある。空気に触れている時間が長いと、そして気温が高いと、活発に増殖する。糠床の塩分がもともと低いところに暑い日が続いた。酵母にとっては好条件が重なった。

というわけで、食塩を追加した。同時に、庭のサンショウの若葉を摘んで混ぜ込んだ。産膜酵母には直接的な害はない。そのまま混ぜ込むが、味はだんだん古漬けのようなものになっていくというので、木の芽を入れたり、新しい糠を投入したりして、味をととのえないといけない。

気温が上がると、キュウリの漬かりも早くなる。今のところ、目安は「半日漬け」だ。夕方5時に入れたら、朝の5時に取り出す。朝5時に入れたら、夕方5時に取り出す。

それを守っているのだが、漬ける本数は1~2本ではなく、4~5本まとめて、ということが多い。

お福分けが届くようになったことも関係する。キュウリは日を追うごとに水分が飛んで、中身が白っぽくなる。こうなると、漬けてもおいしくない。

とにかく早く漬けて、パックに入れて冷蔵庫で保管しながら食べる、というやり方を続けている。義弟を加えて3人。それに合わせて1~2本漬けていたら、キュウリがダメになる。

 室温はこれからさらに上がるのか。上がるとしたら、糠床を台所から北側の階段下に移さないといけない。産膜酵母の有無をはかりながら思案しているところだ。

 茶の間での仕事も、もはや早朝に限られる。朝のうちに――というのは、カミサンも同じらしい。先日は脚立に上がって庭のプラムを採った。それだけで汗がにじんだ。

 梅雨明け前後から室温が高めに推移し、午後には茶の間で35度を超える日が多くなった。半そで・半ズボン、そして2台の扇風機をかけても、熱はこもっている。庭からの照り返しもきつい。

 7月1日付の回覧配布は早朝5時過ぎ、新聞配達並みの時間にした。対面で手渡しの役員さんだけ、朝ドラがすんでから届けた。とにかく、原稿も、家事も朝のうちに――と決めている。

2022年7月1日金曜日

“ひげ”をはやした洋ラン

                      
   義弟の病院通いにはカミサンが付き添う。私が車で送って行く。内郷の病院は遠いので、あとで2人を迎えに行く。平の街の医院だと、帰りは近くの大型店からタクシーを利用する。

先日、カミサンが変わった花を2輪、手にして戻って来た=写真。カトレア系の花だという。花の周りに“ひげ”が密生している。花の根元には、細長い「がく片」らしいものが5枚付いている。まるで風車(かざぐるま)だ。

話がよく飲み込めなかったのだが、こういうことらしい。洋ランを栽培している農家の人が医院に花を持って来た。医院にはそれらしい花が飾ってある。花を提供するボランティアであり、患者でもあるらしい。その人からもらったのだという。

野草には興味がある。庭で、夏井川渓谷の隠居で、どんな野草が生え、どんな花を咲かせるのか、できるだけ記録し、写真を撮るようにしている。

が、園芸種となると、全く知識がない。身の回りの野草にエネルギーをとられ、園芸種にまで調べる余裕も関心もない。

せいぜいイベント時に飾られるコチョウランやカトレアを見て、「色がすごい」「形がおもしろい」と反応するくらいだ。

しかも、園芸種は品種改良が進んでいる。素人にはイメージさえ浮かばない、片仮名の名前が多い。

でも、わが家に来たからには、園芸業界では何と呼ばれている花なのか知りたい――ここ2、3日、時間をつくってはネットで検索を続けた。

野草と違って、情報が少ないのか、それらしいものになかなかたどりつけなかった。それらしい画像に出合っても名前を絞り切れない、そんなことが続いた。園芸種とはそういうものなのか。

ようやく、これか、という説明に出合う。「リンコレア・ディグビアナ」。以前は「ブラサボラ・ディグビアナ」といれていたらしい。

そこから検索をし直すと、中央アメリカ原産の着生ランで、カトレアに近い。花の色は淡いグリーン、芳香がある、リップ(唇弁)の切れ込みがすばらしい、といった特徴が分かった。

リップの周りの“ひげ”が特徴らしく、英国のラン栽培家、ディグビーという人が初めて開花させたことから、「ディグビアナ」と命名された、ともある。

リップという片仮名も、いかにも園芸種らしい。日本の野草の場合だと、「シランの唇弁」「ネジバナの唇弁」となるところが、「カトレアのリップ」というらしい。

ま、とにかくこの花の名前を知るまでに何時間検索をかけただろう。原産地や形態はそれなりにわかったが、片仮名の名前はやはり覚えきれない。とりあえず、カトレア系の「ディグビアナ」と縮めて頭に入れる。

にしても、交配に交配を重ねて、この世に存在しなかった花をつくり上げる園芸家の執念には恐れ入る。