2022年7月3日日曜日

「夕立」とはなつかしい

 このごろ、テレビで気象予報士が「夕立」という言葉をよく使う。私が小学生のころは、夏は夕立が当たり前だった。なつかしい言葉ではある。

 朝は青空。やがて入道雲が天を衝(つ)くまで成長し、そのあと急に暗雲=写真=が空を覆って、雷雨が通過する。この梅雨は、とつい言いたくなるが、今年(2022年)の6月後半がそうだった。

これは小学校低学年、つまり昭和30年代前半の夏休みの記憶だ。そのころ、子どもたちは川で水浴びをした。川から帰ると、たびたび夕立がきた。

落雷を恐れて家の雨戸を閉め、電気を消して蚊帳のなかに避難する。仏壇の線香立てを廊下に持ち出し、線香に火をつけて雨戸のすき間から煙を外へたなびかせる。「雷様(らいさま)」よけのまじないだった。

「雷様にへそをとられるな」も大人の口癖だった。幼いときには金太郎のような腹巻きをさせられた。小学校に入ってからはランニングシャツをちゃんと半ズボンの中に入れるように言われた。怖い雷様を利用して、腹を冷やさないための戒めとしたのだろう。

夕立は夏の大事な気象だが、最近はほとんど縁がなかった。久しぶりに夕立を体験している思いがする。

前に「雷の道」について書いたことがある。それを抜粋する。根本順吉著『江戸晴雨攷』(中公文庫)のなかの「夕立」によると――東電管内、つまり関東圏には7つの「雷の道」がある。

東電の人間が落雷事故からルートを解明した。なかでも優勢なのが「赤城・榛名系統」の雷。北西から南東に進む。おおかたはその方向で移動する。で、「世界的に見ても関東地方は雷の多発地帯」なのだという。

夏井川渓谷の隠居でも激しい雷雨を経験した。雷が横に走るのを見た。音も光もすぐそばだ。雷雲の真っただ中にいる。地響きがして空気が震える。電気を消して縮こまっているしかなかった。

近くの水力発電所に勤めていた集落の長老によると、夏井川渓谷近辺には二つの「雷の道」がある。一つは、白河あたりで発生した雷雲が久之方面に抜けるルート。もう一つはより北側、会津方面からやってきたのが木戸川(楢葉町)あたりに抜けるルートだ。

怖いのは「白河―久之浜」線だという。直撃を受ける可能性がある。「会津―木戸川」線の場合は、遠雷ですむ。

 この話を書いたのは12年前の5月。北関東で竜巻被害が出たときだった。竜巻は、関東にある七つの「雷の道」とは進路が異なり、つくば市でも、栃木県でも南西から北東へ突っ走った。しかし、これはたまたまだろう。「竜巻の道」はどこにでもできる。

 竜巻はそのころから、「テレビで見るアメリカの話」ではなくなった。大災害を引き起こす「現実」になった。現に、近ごろは竜巻注意報がしょっちゅう発表される。 

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