2020年8月15日土曜日

渓谷が大変なことに?

 毎週日曜日に夏井川渓谷へ通っているが、この異変には気づかなかった。一部の山が点々と“紅葉”している。万緑のはずの夏になぜ?

 おととい(8月13日)の木曜日早朝、渓谷の隠居へキュウリを摘みに行った。6時を過ぎると意外に車の通行量が多い(遠距離通勤のため?)。5時台だったので、対向車両も後続車両もほとんどなかった。ゆっくり車を進めると渓谷の手前、小川・高崎の夏井川第三発電所を過ぎたあたりから、左手(夏井川右岸)に“紅葉”が見えてきた。

 JR磐越東線の磐城街道高崎踏切・上小川トンネルを越え、地獄坂(十石坂)を上って渓谷に入ると、同川第一発電所の背後の尾根に、赤いかたまりが点々と連なっていた=写真上。踏切の手前、枯れ葉をまとった谷沿いの木を見たら広葉樹だ=写真下。一つの尾根で20本、いやそれ以上か。この“茶髪”の多さは尋常ではない。

 渓谷のど真ん中、牛小川に隠居がある。対岸には同川第二発電所。阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件が起きた平成7(1995)年の夏から、毎週通い続けている。そのころ、渓谷の斜面の赤松はまだ元気なように見えた。が、年々、松葉に黄色いメッシュが入り、“茶髪”が増え、やがて樹皮の亀甲模様もはがれ落ちて、白い幹と枝だけの“卒塔婆”になった。尾根筋の松にも“白骨”化したものがある。

 それから10年余りたったころ、再び松枯れ現象が起きた。隠居から見える範囲の“茶髪”は赤松、つまり針葉樹だ。広葉樹に“茶髪”はない。「枯れるのは松」という思い込みと、対向車両に意識が集中していたこともあって、下流の広葉樹の“茶髪”に気づくのが遅れたようだ。

 もしかして、これが会津地方などで問題になっている「ナラ枯れ」というやつだろうか。だとしたら、犯人は昆虫のカシノナガキクイムシ(カシナガ)だ。

福島県いわき農林事務所森林林業部の「カシノナガキクイムシ被害対策について」によると、「ナラ枯れ」は、ミズナラ・カシワ・コナラ・クリ・シイ・カシなどの樹木にカシナガが穿入(せんにゅう)し、ナラ菌が繁殖することで樹木を枯死させる現象をいう。いわきでは平成30(2018)年に初めて確認された。

カシナガは体長5ミリ前後の小昆虫で、雌はナラ菌やえさとなる酵母菌などをたくわえる「菌嚢(きんのう)」を持っている。7~8月、集合フェロモンに誘引されて多数の成虫が集中的に同じ木に穿入し、ナラ菌が孔道(こうどう)内で繁殖して、木の通水機能が失われる。それで、葉があっという間に枯れる。

 夏井川渓谷の下流部のありさまを見ると、「ナラ枯れ」が今年(2020年)急に発生したようには思われない。カシナガの幼虫は孔道内で酵母類をえさとして成長・越冬し、翌年6~8月に羽化して一帯に散らばるというから、この1、2年の間に被害が急拡大した、ということではないのか。

夏井川渓谷は春のアカヤシオ(岩ツツジ)と秋の紅葉が観光の目玉にもなっている。その景観に黄信号がともらないとも限らない。

 いわきで行われている防除例は二つ。一つは被害木を伐倒してシートで密閉し、薬剤で燻蒸(くんじょう)する伐倒駆除、もう一つは立木に穴をあけて薬剤を注入して燻蒸する立木燻蒸だ。

 夏に異様なほど赤茶けた渓谷の森を見るのは初めてだった。これからさらに上流へと被害が拡大するのか、それとも食い止められるのか――「眺める」だけの人間だが、心配のタネが一つ増えた。 

2020年8月14日金曜日

家の中で“虫撮り”

   ときどき、家の中で“昆虫採集”をする。といっても、実際に捕まえるわけではない。網の代わりにカメラでつかまえる。つまり、撮影データだけを採集する。70歳を過ぎれば、それで十分。

 春から初夏へ、梅雨から盛夏へ――エアコンのないわが家では、少しずつ窓、戸が開け放たれる。

庭の木々は年々育って緑の密度を増してきた。明け放たれた茶の間はそのまま庭の延長になる。それだけではない。北側の店と南側の自宅玄関の間に風の通路ができる。虫たちが茶の間だけでなく、風の通路にも迷い込む。

 アシナガバチはもう“同居人”と変わらない。茶の間の軒下にある巣が一回りも二回りも大きくなった。働きバチの数も増えた。たまに茶の間に現れても、見て見ぬふりをする。黙っていれば、そのうち巣へ帰る。

 アシナガバチは撮り飽きたが、アオスジアゲハとなれば別だ。昼前、店と自宅の間の帳場にいたカミサンが叫ぶ。「アオスジアゲハ!」。帳場の蛍光灯の下でヒラヒラ舞っている。急いでパチパチやる。

 翌日の夜9時過ぎには、見たこともないチョウがやって来た。天井の梁(はり)に止まったところを撮影し=写真上1、データを拡大して形と紋様をスケッチしたあと、ネットで検索した。クロコノマチョウ(漢字では、「黒木間蝶」)だった。裏翅(ばね)の紋様からジャノメチョウの仲間を、翅のへりのギザギザからタテハチョウの仲間を連想したが、タテハチョウ科、ジャノメチョウ科両方の記述がある。ほんとうはどっちだろう。

 アオスジアゲハも北上してきたチョウだが、クロコノマチョウも南方系のチョウで、北上中らしい。ある報告では「茨城県の太平洋岸北上回廊を経て、東北南部の太平洋岸(福島県浜通り)に侵入」とある。在来のチョウから見れば、「北上」は「侵入」になるわけだ。これだって地球温暖化のあかしに違いない。

 キノコ界にも同じことがいえる。ちょっと前、熱帯のキノコ(アカイカタケ)がいわきの山中で発見された。冬の寒さが緩んだために、南方系のキノコの胞子もチョウもいわきで越冬が可能になった、ということなのだろうか。

 エアコンのない「昭和の家」だからこそ、いながらにして“昆虫採集”ができる。そこが撮影の“現場”になる。

 盆の入りのきのう(8月13日)夜、突然、客人が3人やって来た。茶の間で晩酌中だったので、酒盛りになった。「エアコン入れなくちゃ」と、1人がいう。確かに、茶の間には昼の暑さがこもっていた。

 そこへ、玄関からキアゲハが迷い込んできた。「誰かの魂が帰って来たんだね」と、もう1人がいう。「いや、この家ではまだ1人も死んでいないから」と答えながら、先日亡くなった年下の友人の顔が思い浮かんだ。

「それにしても、じゃんがらの音がしないね」。「じゃんがら」とは月遅れ盆、主に青年会が新盆の家々を回って念仏を唱え、踊るいわき独特の伝統芸能「じゃんがら念仏踊り」のことだ。今年(2020年)は新型コロナウイルス感染防止のため、団体によって実施・中止と対応が分かれた。「チャンカ、チャンカ」の鉦(かね)の音が聞こえない、寂しいお盆になった。

  今朝起きると、茶の間にまだキアゲハがいた。一泊したらしい。さっそくカメラで“昆虫採集”をする=写真上2。右側の尾状突起が欠けているのは、鳥かなにかに襲われたためか。

2020年8月13日木曜日

「夏休みの手伝い」

  福島県東部を縦断する阿武隈高地の主峰・大滝根山(1193メートル)の北西部、田村郡常葉町(現田村市常葉町)で生まれた。一筋町の北東に鎌倉岳(967メートル)、北西に移ケ岳(995メートル)がそびえる。

子どものころから身近だったのは、同じ郡内の町と村。東隣の都路村(現田村市都路町)には母親の実家がある。西隣の船引町には仲間と自転車で汽車を見に行った。山陰の町や村、さらにその先の市町村は、それからおいおいと知ることになる。

 鎌倉岳の北にあるのは葛尾村。この村のことは、小さいときから耳には入ってきた。一番身近な「双葉郡」だ。

いわき市と山形県南陽市を結ぶ総延長約195キロの国道399号は、起点がわが生活圏の中神谷で、同じいわき・小川町から阿武隈高地の川内村~都路町~葛尾村~浪江町~相馬郡飯舘村を通る。原発事故では1Fの北西に位置するこれら浪江・葛尾・飯舘一帯が特に汚染された。

「帰還困難区域」の浪江町赤宇木(あこうぎ=請戸川流域)と飯舘村長泥(新田川支流・比曽川流域)は尾根をはさんで隣り合っている。赤宇木の西側、葛尾村に接する浪江町津島にはテレビで有名な「ダッシュ村」がある。

 事故から9年半。飯舘村の長泥行政区はこれからどうなるのか――。福島民報の連載「復興を問う 帰還困難の地」の11回目(2020年8月3日付)に、同世代の男性が登場した。後半部で男性と、同じ長泥生まれの奥さんが回想する=写真。「幼い頃、夏休みになると収穫した麦の脱穀を手伝った。汗ばんだ肌にもみが張り付いた」

 このくだりを読みながら、胸のなかで叫んでいた。「同じだ、同じ経験をした」。都路の母親の実家でも、一家総出で麦の脱穀が行われた。そのときの思い出が、足踏み脱穀機と唐箕(とうみ)とともによみがえる。

足踏み脱穀機は木製のドラムに逆V字型の鉄の歯がさしてあり、ペダルを踏むと「ガーコン、ガーコン」と回転する。そこへ麦の穂を当てて脱穀する。

 手で回さずに足踏みから始めると、手前に逆回転する。みんなが昼食をとっているとき、ひとりで「ガーコン、ガーコン」とやり始めたら、逆回転してドラムに手をはさまれた。痛かった。

 単に田村郡や双葉郡、相馬郡といえば遠く離れた地域に思われがちだが、山間部は同じ阿武隈の水源地帯だ。山に網をかぶせたように、里から里へと道路がつながっている。

 豊かで美しい里山、澄んだ空気、清らかな水、日本の原風景ともいえる景観、さまざまな農産物、伝統文化、生活文化を体感できる地域――。常葉の鎌倉岳に登った劇作家の田中澄江さんは、頂上からの眺めを「スイスの山村さながら」(『花の百名山』文春文庫)と評した。それと呼応するように、国道399号を「あぶくまロマンチック街道」として売り出す動きがあった。

しかし、直後に原発事故が起きる。主に双葉郡の人たちは着の身着のまま、西へ西へと阿武隈高地を越えた。避難したその日から、自然と共存した生業(なりわい)・暮らしを断ち切られた。

新聞の連載記事を読み、少年時代を思い出して、はたと気づいたことがある。長泥の同世代の男性と同様、私の子どものころの「麦の脱穀」の記憶もまた、原発事故で“汚染”された。記憶は、いつかは昇華されて青空になると思っていたが、文明がもたらした災厄は、そうした文脈をはるかに逸脱している。9年半くらいでは「過去」の範疇(はんちゅう)には入らない。どころか、住民の過去、地域の歴史まで汚染する。

 阿武隈ではこの月遅れ盆、コロナだけでなく、帰還困難区域のために帰れない「魂」がある。 

2020年8月12日水曜日

初の「室温36度」

  きのう(8月11日)も早朝からクラクラする暑さになった。ときおり、茶の間にあるデジタル時計の気温をメモした。

 9時過ぎ、室温はすでに30度を超えて32.3度に。2時間後の11時近くには34.2度。正午前には35度を超えた。その後も小刻みに上昇し、2時半になると、たぶんわが家では初めて、36.0度に達した=写真上1。3時直前に36.1度になったのが、きのうのピークだった。

 家にエアコンがないので、最近は雨が降らない限り、2階の窓を開けっ放しにしている。1階はもちろん、寝るまですべての窓と戸を開けている。茶の間は西側が押入と床の間。窓がないので、熱がこもる。扇風機を「強」にしても、熱風が届くだけだ。

 ここまで高温になると、さすがに蚊も現れない。蚊に刺されないのはいいのだが、頭もはたらかない。汗だけはかくから、その倍も氷を入れて冷やした水を飲む。しょっちゅう飲む。それでも汗がにじんでくる。古くさいたとえだが、サウナにいるようだ。

 さすがに、夕方には疲れて一時、茶の間を退散した。どこか涼しいところはないか。毛皮を着た猫は夏になると、北側のトイレそばの洗濯機の上でよく休んでいた。東に窓があって、たまに涼風が入る。そこに立つと、少し気温が低いのがわかる。かといって、トイレの前にイスをおいて本を読むわけにもいかない。

  代わりに、きのうは台所で肥大したキュウリの皮をむき、乱切りにした。庭に自生するシソの葉を何枚か摘んで刻み、キュウリと一緒に塩でもんだのを冷蔵庫に入れ、冷えてから晩酌のつまみにした=写真上2。

 晩酌中にカツオの刺し身がぬるむと冷蔵庫に戻す。冷えるとまたうまみが戻る。それと同じで、キュウリの乱切りも途中、冷凍庫で“急速冷蔵”した。今度は半分冷凍するまで置いてみようか。シャリシャリした乱切りもいいかもしれない。

 きのうは、後輩が最後のマクワウリを持ってきてくれた。袋に入ったのをかぐと、かすかに香りが立つ。もう十分熟している。すぐ冷蔵庫に入れた。この酷暑に冷えたウリを食べる――それを想像するとたまらない。そんなことを考えて暑さを忘れるのだが、基本的には涼しい夜明けのうちに用をすませる、が一番かもしれない。

 最近はトシのせいでかなり早寝早起きになった。その意味では、早起きは苦にならない。朝めし前3時間くらいを、仕事や調べものの時間にあてる。太陽がのぼったら、あとはだらだら過ごす。けさはそう決めて起きたのだが、4時前なのに茶の間の気温は30.9度にしか下がっていない。きょうも「危険な暑さ」が続くのか。 

2020年8月11日火曜日

渓谷の夏の花や虫たち

 日曜日の朝、夏井川渓谷の隠居に着くと、すぐやることが二つある。一つは石垣のすきまにすんでいるマムシの有無の確認。もう一つはキュウリの収穫。

 おととい(8月9日)は、いつもの場所でマムシが休んでいた。マムシは、目が合うとビクッとして、するすると石垣のすきまに姿を消した。キュウリは遠目にも生(な)っているのがわかった。黒い棒状のものが何本も垂れ下がっている。太くて長い。それがわかる。週半ばに採りに来るのを怠ったから、しかたがない。20センチ強の肥大キュウリ9本を収穫した。

マムシはそっとしておけばいい。キュウリを摘んだら、もうやることはない。カミサンは午後、用事がある。昼前には街へ戻っていわき市立美術館で「リサ・ラーソン展」を見る。隠居を離れる午前11時までは、首からカメラを提げて庭をぶらぶらした。

キノコはドクベニタケが1、2個。風呂場の角にはミソハギ=写真上1=とコバギボウシ=写真上2。

 ネギのうね間に何匹もジョロウグモの子が網を張っている。そのうちの1匹が、何度か庭を行ったり来たりしているうちに小さな虫を捕まえた=写真下1。あとで撮影データをパソコンで拡大すると、虫の羽は透明で、頭はハエのような感じ。ブヨ(ブユ)だろうか。人間が来た、吸血してやれ、と近づいたら、網にかかってしまったのかもしれない。

  そうしている合間にも、ときどきマムシの有無を確かめる。上の庭のへり、石垣の上に一部、古瓦が敷きつめてある。その上で体を温めていた。足音が聞こえたのか、2メートルほどに距離が縮まると、また石垣のすきまに消えた。

  近くにイラクサ科の葉が茂っている。橙色の頭と、黄と黒の派手な体色の虫が盛んに葉を食べていた=写真上3。蛾(フクラスズメ)の幼虫らしかった。

 さて、肥大キュウリは塩漬け(古漬け用)、糠漬けのほか、キュウリもみにした。キュウリもみを食べたが、皮が硬い。種もできている。やはり、週に2回は収穫しないと――。

2020年8月10日月曜日

リサ・ラーソン展

                                     

  リサ・ラーソン、88歳。スウェーデンの陶芸家だ。作品は確かに焼き物なのだが、「ユニークピース」と呼ばれる“一点もの”は彫刻作品、といってもいいくらいだ。

 犬、猫、鳥、人間、乗り物……。これら“一点もの”のユニークピースは、陶芸はこういうものだという先入観、既成概念をほぐしてくれる。

陶器のイメージは実用に即した無駄のないかたちと色、つまり皿とか茶わんとか壺(つぼ)だけではない。そのことを、いわきでは半世紀近く前に経験している。

陶芸は、よくいえば「用の美」、職人がつくりあげるものと受け止めていたところに、故緑川宏樹(1938―2010年)が現れた。日用雑器と無縁のオブジェ、“紙ヒコーキ”に衝撃を受けた。陶器は「使う」だけではなく、「見る」、あるいは「考える」ものになった。

以来、いわきでは陶芸と陶芸家の概念が解きほぐされ、広がり、深まり、多様な作品がつくられるようになった。

いわき市立美術館で8月30日まで、「リサ・ラーソン展」が開かれている=写真(チラシ)。きのう(8月9日)、65歳以上無料の特典を生かして観覧した。

作品を見ながら、頭のなかではリサ・ラーソンと緑川宏樹との間を行ったり来たりしていた。もっと若手、近所に住む女性陶芸家のカラフルな作品も頭に浮かんだ。実用的な作品もあるようだが、オブジェ(置物)としての面白さに引かれた。

「表現の自由」、いや「表現は自由」という意味では、「自由な表現」にこそ個性が光る。展覧会のサブタイトル「創作と出会いをめぐる旅」は、たぶんそのこととつながる。「旅」は地理的な移動だけではない。人生の出会いと表現の積み重ねもまた「旅」である。

リサ・ラーソンの自由な表現を見つめることで、こちらの日常のしこりがほぐれていく。想像力の幅が広がっていく。そう、考える奥行きもまた深まる。

 作品としては小さなハリネズミ、市美展であれば市長賞の作品が展示されるコーナーに並んだ人間のフィギュアが印象に残った。前者は最初、それとわからなかったから。後者はほかの作品と違って多少生々しさがある。「かわいい」を超えた作品もつくる人なのだと納得した。

 学校の夏休みと3連休の真ん中だったせいか、思った以上に人が入っていた。1階のグッズ売り場には「密」を避けながらも列ができていた。なかなか人気のある展覧会だとわかる。

その秘密はなんだろう。ライオンの顔の表情が象徴している。全体にほっこりとして温かい。そうそう、と重ねたくなる。コロナ禍の重苦しい空気の中、救われた気持ちになったのだった。

2020年8月9日日曜日

オニユリと横川水門

夏井川河口部の横川に鉄板が打ち込まれた=写真下。「あそこに水門ができるんだ」。河口に架かる磐城舞子橋の手前に車を止めて、中1と小5の孫に説明する。孫たちの学区内でおきていることを伝えるのも必要だろう――そう思ってのことだ。

 小名浜への往路や鹿島街道からの帰路、新舞子の海岸道路を利用することがある。単に海を見たい、というのが一つ。もう一つは東日本大震災。沿岸域が津波に襲われて以来、復興工事が進められてきた。通るたびに風景が変わっている。その変化を頭のなかで“アップデート”(最新化)しておきたい――というのが理由だ。

 夏井川の最下流域では長年、河口閉塞(へいそく)が大きな問題になっている。同川の最後の支流は仁井田川。平成18(2006)年秋、仁井田川が台風と風浪で太平洋と直結し、夏井川の河口が閉塞した。両川の間は横川でつながっている。同23(2011)年3月、東日本大震災による地盤沈下と津波の影響を受けて、夏井川河口の閉塞と横川への逆流が常態化した。

河口を開こうと、震災前から手が打たれてはきた。同20(2008)年には夏井川と横川との合流部に“石のダム”ができた。しかし、それでも逆流はとまらなかった。

震災後は、本流の堤防のかさ上げが行われた。仁井田川河口では東舞子橋が架け替えられた。次は横川。“石のダム”の代わりに鉄とコンクリートの水門ができる。同時に、横川の築堤・護岸、夏井川左岸河口部の築堤・護岸工事も行われる。

 夏井川河口の閉塞とそれに伴う横川右岸域の浸水問題は、記録で知るかぎり100年に及ぶ。平成28(2016)年夏の豪雨では、横川の水位が上昇し、流域に避難勧告が出された。今回の復興予算がほんとうの「百年の大計」となるかどうか。

 冒頭の話に戻る。サッカーをやっている2人の孫を新舞子ヴレッジへ送り届けた。いつもは内陸の道路を利用する。今回は横川の水門工事現場を見せねばと、海岸道路経由にした。自分たちの生活圏で起きていることを自分の目に焼き付けておけば、いつかは考える材料になるかもしれない。つまりは、“老爺(や)心”からだった。

  海岸道路や脇道に点々と咲いているオニユリ=写真上=も見せたかったのだが、もう姿はなかった。