2020年8月9日日曜日

オニユリと横川水門

夏井川河口部の横川に鉄板が打ち込まれた=写真下。「あそこに水門ができるんだ」。河口に架かる磐城舞子橋の手前に車を止めて、中1と小5の孫に説明する。孫たちの学区内でおきていることを伝えるのも必要だろう――そう思ってのことだ。

 小名浜への往路や鹿島街道からの帰路、新舞子の海岸道路を利用することがある。単に海を見たい、というのが一つ。もう一つは東日本大震災。沿岸域が津波に襲われて以来、復興工事が進められてきた。通るたびに風景が変わっている。その変化を頭のなかで“アップデート”(最新化)しておきたい――というのが理由だ。

 夏井川の最下流域では長年、河口閉塞(へいそく)が大きな問題になっている。同川の最後の支流は仁井田川。平成18(2006)年秋、仁井田川が台風と風浪で太平洋と直結し、夏井川の河口が閉塞した。両川の間は横川でつながっている。同23(2011)年3月、東日本大震災による地盤沈下と津波の影響を受けて、夏井川河口の閉塞と横川への逆流が常態化した。

河口を開こうと、震災前から手が打たれてはきた。同20(2008)年には夏井川と横川との合流部に“石のダム”ができた。しかし、それでも逆流はとまらなかった。

震災後は、本流の堤防のかさ上げが行われた。仁井田川河口では東舞子橋が架け替えられた。次は横川。“石のダム”の代わりに鉄とコンクリートの水門ができる。同時に、横川の築堤・護岸、夏井川左岸河口部の築堤・護岸工事も行われる。

 夏井川河口の閉塞とそれに伴う横川右岸域の浸水問題は、記録で知るかぎり100年に及ぶ。平成28(2016)年夏の豪雨では、横川の水位が上昇し、流域に避難勧告が出された。今回の復興予算がほんとうの「百年の大計」となるかどうか。

 冒頭の話に戻る。サッカーをやっている2人の孫を新舞子ヴレッジへ送り届けた。いつもは内陸の道路を利用する。今回は横川の水門工事現場を見せねばと、海岸道路経由にした。自分たちの生活圏で起きていることを自分の目に焼き付けておけば、いつかは考える材料になるかもしれない。つまりは、“老爺(や)心”からだった。

  海岸道路や脇道に点々と咲いているオニユリ=写真上=も見せたかったのだが、もう姿はなかった。 

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