リサ・ラーソン、88歳。スウェーデンの陶芸家だ。作品は確かに焼き物なのだが、「ユニークピース」と呼ばれる“一点もの”は彫刻作品、といってもいいくらいだ。
犬、猫、鳥、人間、乗り物……。これら“一点もの”のユニークピースは、陶芸はこういうものだという先入観、既成概念をほぐしてくれる。
陶器のイメージは実用に即した無駄のないかたちと色、つまり皿とか茶わんとか壺(つぼ)だけではない。そのことを、いわきでは半世紀近く前に経験している。
陶芸は、よくいえば「用の美」、職人がつくりあげるものと受け止めていたところに、故緑川宏樹(1938―2010年)が現れた。日用雑器と無縁のオブジェ、“紙ヒコーキ”に衝撃を受けた。陶器は「使う」だけではなく、「見る」、あるいは「考える」ものになった。
以来、いわきでは陶芸と陶芸家の概念が解きほぐされ、広がり、深まり、多様な作品がつくられるようになった。
いわき市立美術館で8月30日まで、「リサ・ラーソン展」が開かれている=写真(チラシ)。きのう(8月9日)、65歳以上無料の特典を生かして観覧した。
作品を見ながら、頭のなかではリサ・ラーソンと緑川宏樹との間を行ったり来たりしていた。もっと若手、近所に住む女性陶芸家のカラフルな作品も頭に浮かんだ。実用的な作品もあるようだが、オブジェ(置物)としての面白さに引かれた。
「表現の自由」、いや「表現は自由」という意味では、「自由な表現」にこそ個性が光る。展覧会のサブタイトル「創作と出会いをめぐる旅」は、たぶんそのこととつながる。「旅」は地理的な移動だけではない。人生の出会いと表現の積み重ねもまた「旅」である。
リサ・ラーソンの自由な表現を見つめることで、こちらの日常のしこりがほぐれていく。想像力の幅が広がっていく。そう、考える奥行きもまた深まる。
作品としては小さなハリネズミ、市美展であれば市長賞の作品が展示されるコーナーに並んだ人間のフィギュアが印象に残った。前者は最初、それとわからなかったから。後者はほかの作品と違って多少生々しさがある。「かわいい」を超えた作品もつくる人なのだと納得した。
学校の夏休みと3連休の真ん中だったせいか、思った以上に人が入っていた。1階のグッズ売り場には「密」を避けながらも列ができていた。なかなか人気のある展覧会だとわかる。
その秘密はなんだろう。ライオンの顔の表情が象徴している。全体にほっこりとして温かい。そうそう、と重ねたくなる。コロナ禍の重苦しい空気の中、救われた気持ちになったのだった。
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