2015年4月7日火曜日

ハクチョウ給餌9年

 日本野鳥の会いわき支部の前事務局長峠順治さんから季刊の支部報「かもめ」第124~126号が届いた。4月1日発行の126号に、峠さんが「左助・左吉と過した2200日~馬目夫妻の白鳥物語」を寄稿している=写真。
 左助と左吉は飛来後、高圧線にぶつかり、翼をけがして北帰行がかなわなくなったハクチョウのことだ。平成15(2003)年9月の大水で、夏井川の越冬地(平・中平窪)から約8キロ流され、そのままそこに定着した。この2羽が呼び水になって、下流の平・塩~中神谷にも越冬地が形成された。

 ハクチョウのとりこになった馬目さんが奥さんとともに、左助・左吉に餌(えさ)をやるため、対岸の山崎から軽トラで通い続けた。平成24(2012)年6月の馬目さんの死とともに終わったハクチョウと馬目さんの9年間の交流(うち6年間、2200日は左助たちのために毎日)をつづっている。

文章のなかで2カ所、私のブログを引用しているので了承をと、師走に峠さんが拙宅を訪れた。奥さんとカミサンが布を介してつながっており、それまでにも何度かわが家に来たことがある。

峠さんのふるさとは飛騨高山。ざっと20年前、いわきに転勤し、夏井川のハクチョウとサケに魅せられて、いわきをついのすみかに決めた。野鳥の会に入り、事務局長時代から馬目さんとは懇意にしてきた。
 
 馬目夫妻は朝6時半前後、軽トラで堤防に現れる。私も会社を辞めたあとは、その時間帯にカメラを首から提げて堤防を散歩した。いつか、会うと必ず話をする間柄になった。その馬目さんの死を、峠さんから教えられた。
 
 峠さんの文によると、左助がけがをしたのは平成12(2000)年、左吉は翌年。傷病ハクチョウはやがて3羽になり、同21(2009)年10月を最後に姿を消す。

 峠さんは馬目さんの奥さんにもインタビューした。前に小欄で紹介した馬目さんの戒名の話が物語の最後に載る。馬目さんの「最後の言葉は臨終の2日前、病室の見舞客の前で天井を見ながら、『あ、白鳥が飛んでいる』だった」「家族は『院や道はいらないから、白鳥の2文字を入れてくれ』との本人のたっての遺言に従い、霊鳥名入りの戒名を菩提寺である如来寺から頂戴した」

白鳥讃誉厚温善清居士――あらためてハクチョウにささげた最晩年だったことを知る。路傍の花のような馬目夫妻の“仕事”を記録に残した峠さんの“仕事”にも拍手を送りたい。

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