若いときから俳句に親しみ、実力をたくわえて、2003年に福島県文学賞俳句の部正賞を受賞した福島高専の後輩がいる。「おくのほそ道」以来の「俳句のまち」須賀川市に住む。そこで生まれ育った。東日本大震災から2カ月の間に詠んだ「ふくしま」50句で、その年の角川俳句賞を受賞し、全国的に注目された。永瀬十悟(とうご)、62歳。
所属する須賀川の俳句団体「桔梗(きっこう)」がいわき市で一泊の研修会を開いたとき、いわきから加わっている知人に呼ばれて話をしたことがある。1人だけ年若い人間がいて、言葉を交わしているうちに後輩と知った。
江戸時代後期、磐城平の専称寺で修行し、のちに江戸へ出て俳諧師として鳴らした出羽出身の俳僧に一具庵一具がいる。彼を軸に、俳人と俳人が身分を超え、地域を越えてつながっていく「俳諧ネットワーク」が面白くて、アフターファイブ(主に休日)に調べを続けていた。その中間報告のようなかたちで話をした。15年以上前のことだろうか。
先日、いわきの別の俳人を介して、彼から電話がかかってきた。あのときの資料が震災のあと、どこかへ行ってしまった。須賀川の幕末の女流俳人市原多代女について調べているので、あらためて話を聞きたい――。一具と多代女は同門、しかもきょうだいのように親しかった。
月曜日(4月13日)の午前10時半に彼がやって来た。高専時代、一時、中神谷に下宿していたが、様変わりしてどこか違うところへ来たような気がしたそうだ。彼が質問して私がしゃべり、私が質問して彼がしゃべる――時間があっという間に過ぎた。
最後に、俳諧だけでなく寺のネットワークも意識するようにと伝えた。芭蕉と多代女の句碑がある須賀川・十念寺は、もとは浄土宗名越派の寺だ。一具が学んだ專称寺はその総本山である。
別れ際、角川俳句賞受賞の「ふくしま」50句を含む第一句集『橋朧(はしおぼろ)――ふくしま記』(コールサック社、2013年3月11日刊)をいただいた。その感想はあとで。
0 件のコメント:
コメントを投稿