2015年5月30日土曜日

ツバメのすむ町

 知人がいわき市小川町で老人介護の施設を運営している。新たに県道小野四倉線沿いに施設を建てた。
 その建物の北側外壁(2階部分)に、さっそくツバメが巣をつくった=写真。去年(2014年)はどうだったろう。今の時期、建物の建設が始まっていたかどうか。建設が始まっていたとしても、ツバメが営巣するような環境ではなかった。それが今年、あっという間に巣ができた。

 詩人の草野心平が、「上小川村」と題した詩で<ブリキ屋のとなりは下駄屋。下駄屋のとなりは……>と描写した一筋町のはずれ。近くに、心平の年譜を作成した長谷川渉(1934~93年)の生家がある。

 震災前、知人を介して平に住む渉の妹さんに会うことができた。心平の生家と渉の生家が近いこと、心平の子どもたちと仲が良かったこと、などを知った。駄菓子屋・大工・豆腐屋・精米屋・タガ屋・たばこ屋・床屋・肉屋・医院・馬車屋・金グツ屋……。どこにどんな家がある(あった)か、詳細な地図も書いてくれた。

 老人介護施設の近くに夏井川の支流・下田川が流れている。地図の家並みはそこで終わっている。川の向こうは田畑だったのだろうか。

 この一筋町を初めて通ったのは昭和39(1964)年、15歳の夏――。平高専(現福島高専)の寮に入って最初の夏休み初日、福島市出身の先輩・同輩3人と「徒歩帰省」を敢行した。初日夜に雨に見舞われたこともあって、2日目で計画を断念し、ヒッチハイクをして磐越東線夏井駅から汽車で帰省した。

 一筋町にはいろんな店があった。軒下にはツバメの巣。ツバメが通りを飛び交っていた。「ツバメのすむ町」という印象を持った。今も通りをツバメが飛び交っているが、半世紀前よりだいぶ数が少なくなったのではないか。

 が、「ツバメのふるさと」であることに変わりはない。家が建って、適当な軒下があれば、ツバメが巣をつくる。老人介護施設では2階の排気筒を利用して営巣した。
 
 心平生家の近くでも戸建て住宅が何棟か建設されている。その辺もまた「ツバメのふるさと」だ。ツバメの巣が復活するかどうか、気になる。

0 件のコメント: