もう1週間も前のことだが、地元の立鉾鹿島神社の例大祭が行われた。行政区に案内がくる。おととし(2013年)、初めて参加した。拝殿で祭典を執り行ったあと、みこしがためらうことなく目の前の線路を横切って行った。
わが家の前の道路は、近世には「浜街道」、明治になってからは「陸前浜街道」(旧国道6号)と呼ばれた。わが家の斜め向かい、旧道沿いの参道入り口に神社名が刻まれた石標が立つ。それからまっすぐ250メートルほど伸びた参道の奥に一の鳥居がある。二の鳥居は線路の向こう、社務所のわきに立つ
同神社は、大同2(807)年以前には創建されていたことが、社伝からわかるという。社殿が現在地に落ち着いたのは、江戸時代以前の天正5(1577)年。明治30(1897)年、常磐線の線路がその参道を横切って設けられた。ハレの日に堂々とみこしが線路を渡っていくのは、そこが参道なのだから当然か。
明治になって日本の近代化の一翼を担った鉄道だが、神社のハレの日にはもとの参道に戻る。今年もJR関係者2人が線路に立って、みこしの渡御を見守った=写真。白いヘルメットには「列車見張員」と書かれていた。「きょうはおおっぴらに線路を渡れるねぇ」「きょうだけですよ」。1年に一度、禁止が禁止でなくなる楽しさを味わった。
今年の祭典では、平市街に住む人から「国生み」と「天孫降臨」の場面が彫られた版木が神社に寄贈されたことが報告された。刷りだした縦長の作品が披露された。作者は不詳だが、明治末から大正初めにつくられたものらしい。新しく社宝に加えられた。
参道両側には数えるほどだが水田が残っていた。東日本大震災後は1枚減り、2枚減りして、今年は1枚しか残っていない。すべて家・アパート、宅地に変わった。3月に公示地価が発表されたが、全国で変動率が上昇した上位10地点はすべていわき市だ。それが身近な場所で、目に見えるかたちでわかる。
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