金曜日(5月29日)の夜、国際NGO「シャプラニール=市民による海外協力の会」のいわき駐在スタッフをわが家に招いた。近所の義伯父(故人)の家に住む。アルコールとおしゃべりと食べ物で、互いにたまった疲れをほぐした。
カミサンがシャプラのいわき連絡会を引き受けている。昔は毎年のようにイベントを開いた。写真屋さんに現像・プリントを頼んでいた時代だ。写真屋さんがくれた簡易なアルバムをカミサンが出してきた。
平成10(1998)年、つまり17年前の10月――。「聞いてみようよ ネパールのこと――ネパール農村女性たちの挑戦」と題する、シャプラニール全国キャラバンinいわき」を開いた。アルバムにそのときのチラシコピーが添えられていた=写真。
「ことしはシャプラニールがバングラデシュの他にネパールへの支援をはじめて3年目になります。ネパール・サルヤン郡での活動を通じて、現地協力NGOスタッフ、ラム・クマールさんがお話をいたします」。すっかり忘れていた。
チラシを読み、写真を見て、思い出したことがある。ラム・クマール・シュレスタさんは私より2歳年上の詩人だった。現実には、シャプラと協力関係にある現地NGOの地域開発プログラム担当部長で、通訳のシャプラスタッフとともに、その夜、わが家へ来て一服したあとホテルへ帰った。そのとき、文学の話になった。座卓の上に私の詩集とコラム集が写っている。それらを彼に進呈したのだ。
日曜日のけさ、念のためにフルネームで検索したら、平成25年度の外務省の記事に、在京ネパール大使館でエベレスト登頂60周年記念行事が行われた、それに出席するため、ラム・クマール・シュレスタネパール青年・スポーツ相兼平和・復興相兼文化・観光・民間航空相が来日し、外務大臣政務官と会談した――とあった。まさか彼が大臣に? それとも、同姓同名の別人?
東日本大震災が発生し、シャプラが初めて国内支援に入った。現事務局長がいわき駐在スタッフの1人として、義伯父の家で寝泊まりした。
彼がネパールに駐在していたとき、ラム・クマール・シュレスタさんから日本人の詩集のネパール語訳を頼まれたことがある――そんな話を、やはりわが家でアルコールとおしゃべりと食べ物で疲れをほぐしているときにした。それは私の詩集だよ、わけのわからない日本語だと思ったんじゃないの、というと、うなずきそうになったので大笑いした。そのことも思い出した。
今度のネパール大地震では、シャプラはいち早く緊急救援活動を展開した。時間の経過とともに、被災者が必要とするものは変わっていく。東日本大震災の経験を生かして、息の長い支援活動を続ける。そのためには、やはり資金がいる。
おとといは、私が水曜日(5月27日)のブログに書いた同期生から義援金5万円(会社として3万円、個人として2万円)が届き、夕方、シャプラがいわきで運営する交流スペース「ぶらっと」に持参した。身近な人たちからの「地の塩」ほどありがたいものはない。
0 件のコメント:
コメントを投稿