3・11の歯科医療活動は意外と知られていない。元いわき市歯科医師会長中里迪彦さんがその話をするというので、昨夜(5月27日)、いわき市文化センターへ出かけた。仲間が主宰する「ミニミニリレー講演会」で、月2回のペースですでに420回を超える。ざっと17年以上続いていることになる。
中里さんはかかりつけの歯科医だ。息子たちが幼いときにみてもらい、私も虫歯の治療に通うようになった。今は2代目の若先生にみてもらっている。
街で出会うと決まって立ち話になる。治療の合間にも話しかけてくる。こちらは「アー、アー」とうめいてうなずくしかない。「歯科医の3・11」は、たしかいわき駅前再開発ビル「ラトブ」の1階でばったり会ったときに聞いた。メディアは報じていなかったなぁ、記者のネットワークはどうなってるんだ――なんて思ったことを覚えている。
あのとき、いわきの歯科医師有志は水道が復旧した市総合保健福祉センターで、3月15日から4月3日まで救急歯科診療所を開設した。4月に入ると、他県(富山・岐阜・和歌山・大阪)から歯科医師のチームが来市し、避難所を巡って診療した。中里さんはチームに同行した。被災者であり、私服での参加でもあったので、「挙動不審者」に間違われたこともあったという。
口内は菌の格好のすみかだ。湿っている。栄養(食べかす)が豊富。表面の好気性菌も、歯茎のすきまの深部にすむ嫌気性菌も、水がなくて歯の清掃が行われないと、たちまち繁殖する。すると、歯肉炎や歯周炎などが急性化する。災害時には歯科医療の面からも水の確保が重要になるという。
それとは別に、中里さんは津波で亡くなった人たちの身元確認に従事した。立ち話のなかでそのことを聞いていた。
中里さんから個人的にいただいた資料によると、3月18日から7月末まで、歯科医師会有志13人が安置所に通い、身元の判明していない遺体の歯の状況を細かく記録し、警察の鑑識に提供した。歯科医師側2人、警察側1人の3人1チームで作業を続けたという。
福島県、なかでもいわき市は1Fに近く、原発事故が発生すると食糧・ガソリンなどが外から届かなくなった。それが、歯科医療活動にも影響した。ガソリンがない。市外からの応援チームの宿舎の確保もままならない――。
これらの教訓を踏まえて、2013年1月、いわき市歯科医師会は市と「災害時の歯科医療救護活動等に関する協定書」を結んだ。災害時の応援チームの宿舎として、競輪選手の宿舎を活用することが決まった。
義歯は、人間が白骨化しても残る。義歯に名前があれば、容易に身元の確認ができる。超高齢社会に入った今は、老人保健施設や福祉施設でも義歯の清掃管理がしやすくなるだろう――。「歯科医の3・11」に触れて、「いわきの3・11」というジグソーパズルの空白がひとつ埋まったように感じた。
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