5月初旬、夏井川渓谷から支流の中川沿いにつづら折りの林道を車で駆け上がった。いわき市川前町川前字外門(ともん)。中川流域では最初にして最後の小集落だ。そのはずれ、小川のへりにヤギがいた=写真。杭が打ってある。そこにロープでつながれている。その辺一帯には丈の高い草はない。ヤギが“除草”したのだ。足元は土が露出している。
ヤギを見て、すぐ哲学者内山節(たかし)さんの“文章”を思い出した。どこに書いてあったんだっけかな――本棚にある40冊余りの彼の本を、時間をみつけてはパラパラやったが、いつも空振りに終わった。
きのう(5月21日)、同じ並びに置いておいたいわき市発行『「いわき宇宙塾」講演記録集11』(2001年)の内山さんの講演録にあたったら、すぐ出てきた。灯台下暗し、とはこのこと。
フランスの山里を訪ねた。標高1000メートル。土地はやせている。小麦やジャガイモをつくっても大した収穫にはならないだろう。そんな土地柄だ。が、そこに住む人間は自分たちの地域を誇らしく思っている。
「日本ですと、ここは農地が大変少なくてこういうものしか作れない地域だからとか、ここは大変条件が悪くてとか、どちらかというと自分の地域を問題があるかのごとく表現する人が多いわけですけれども、向こうの農民たちというのはそうは言わないんです。堂々とここはヤギに大変適した地域だというふうな言い方をして、それは大変いいなという気がいたします」
「いわき宇宙塾」は、市民がまちづくりに参画するうえで、まず自分たちの住むいわきという地域を知ろう、まちづくりの事例を学ぼう――そんな趣旨で市役所が始めた講座だ。10年以上続き、年度ごとに講演記録集を出した。その記録が手元に残っていたからこそ、14年後の今、ヤギに関する哲学者の発言を正確になぞることができた。
当時の状況も思い出した。近所に住む義伯父が前日に亡くなった。葬儀の準備は私がするからと、内山節ファンの私を気遣ってカミサンが講演を聴きに行くようにと背中を押したのだった。初めて生身の内山さんを見た。ヤギと土地と村人の“言葉”が深く胸に刻まれた。
自分たちが住んでいる地域を「何もないところだから」とネガティブにみるか、「いや、これがある」とポジティブにみるかで、まちづくりの方向性やエネルギーは違ってくる。「ないものねだり」ではなく、「あるものさがし」をしよう――ヤギと土地と村人の話に、まちづくりの原点が重なってみえた。
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