「いわきの里鬼ケ城」は、いわき市川前町の鬼ケ城山(887メートル)の中腹にある。市の中心部からみると、周縁も周縁、やや北西の「辺境」だ。
それはしかし、「坂上田村麻呂」的な見方でもある。田村麻呂が滅ぼしたとされる「鬼」の側からいえば、「鬼」は中央と闘う地方のリーダーにほかならない。中央に従属することなく、ローカルな世界で生きる――「鬼」は住民から収奪するだけの「鬼」ではなく、共に生きるリーダーでもあったはずだ。つまりは、そこが自分たちのすむ「中心」。
鬼ケ城山にその「田村麻呂伝説」が残る。住民が「鬼」に苦しめられていた、それを征夷大将軍坂上田村麻呂が退治した――鬼ケ城山からふたつ、みっつ北にある大滝根山に「田村麻呂伝説」が息づいている。「鬼」は「大多鬼(おおたき)丸」。その一味が鬼ケ城山にもこもっていた、というものである。阿武隈高地で生まれ育った私にとっては、「大多鬼丸」は「まつろわぬ精神」の象徴だ。
大型連休のどまんなか、5月3日の日曜日――。川内村からの帰り、いわきの里鬼ケ城の「ききり荘」で昼めし(山菜そば)を食べた。ほんとうは川内のそばを、と思ったのだが、「予約でいっぱいらしい」と<ちゃわん屋の木工展>の会場で聞いて、5年ぶりにいわきの高原へ足を延ばした。
県道小野富岡線をうっかり田村市まで行き、Uターンして、県道神俣停車場川前線から「いわきの里鬼ケ城」に入った。家族連れが何十組かいた、というところだろうか。きのう(5月6日)まで、行楽客のために桜のライトアップが行われた。
高原を吹き渡る風はひんやりしていた。それよりなにより、双葉郡の原発からの送電鉄塔が間近に立っている=写真。もう十数年前になる。当時の「いわきの里鬼ケ城」の支配人に、「あれが原発の送電鉄塔」と教えられた。「そうか、スカイラインの景観が悪くなったな」程度で、まるで関心がなかった。
ドライブから2時間後、夏井川渓谷の隠居で休んでいると、79歳になるという知人の女性が立ち寄った。「鬼ケ城へ行ってきた」という。「前に行ったとき、帰りに道に迷ったの。鬼ケ城は、平地の平方面からの案内標識はあっても、帰り道を教える標識がない」といっていた。
確かに、それはいえる。私も、今回は山また山から鬼ケ城へ向かった。入り口に立つ大看板を通りすぎ、バックミラーを見て、そこが入り口であることを思い出した。鬼ケ城山の北側から、つまり県道小野富岡線から入る車も少なくないだろう。案内標識の裏には「川前駅へ」、大看板の裏にも入り口と見てわかる表示をすべきだろう。
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