2015年5月1日金曜日

「100年前」をのぞく

 いわきの「大正ロマン」と「昭和モダン」について、断続的に調べている。それで思うのが、大正前半におきた歴史的な出来事が次々に100年の節目を迎えている、ということだ。

 2012年、明治から大正に改元されて100年になった。「大正100年」である。いわきがらみでいえば、山村暮鳥が磐城平に赴任して100年でもある。昨2014年は第1次世界大戦勃発から100年。2年後の2017年はロシア革命から100年、3年後は米騒動から100年。関東大震災は8年後の2023年に100年を迎える。

 きのう(4月30日)は関東大震災について、いわき地域の活字メディアがどう伝えたかを、いわき総合図書館のホームページを開き、電子化された当時の地域紙でチェックした。「時代のメディア」「時代とメディア」も意識しながらの作業だった。

 電子化された大正12(1923)年の新聞は、残念ながら「常磐毎日新聞」の11、12月分しかない。

 発災から2カ月ばかりあとの11月8日付(実際は7日の夕刊)――。平駅(現いわき駅)の10月の運輸状況について、貨物は発送増・到着減、震災地往来の乗降客は減少、と伝える。

 11月13日付には、出版界も大打撃を受け、災害前に500余種あった雑誌は約3分の1に淘汰(とうた)された、単行本は講談社の『大正大震災大火災』が50万部も売れた――とある。短期間でこれ、もちろん全国で、だろうが、すごい売れ行きだ。石城郡への震災避難者は1759人という記事も(12月11日付)。

 発災から1年後の大正13年9月1日。平・性源寺境内で追悼会が開かれた。追悼碑も建立された(9月2日付)。同じ日の夜、夏井川では関東大震火災遭難者追悼の流灯会が催された(同3日付)=写真。
 
 夏井川流灯会(現流灯花火大会)は大正7年に始まったという。年中行事化されて7回目。「鎌田橋上は人の山を築き墜落しかねまじき雑踏にて警官は声を涸らして群衆を堰き止め青年団は提灯を振りかざして混雑を取繕った(以下略)」。大変なにぎわいだったことがわかる。関東大震災から88年後の2011年には、東日本大震災の犠牲者の追悼も兼ねた流灯花火大会になった。
 
 4月25日、ネパールで大地震が発生した。3・11後、いわきに緊急支援に入った国際NGO「シャプラニール=市民による海外協力の会」のスタッフが、今度は現地で緊急支援活動を始めた。ときどきフェイスブックでスタッフが伝えるネパールの状況を重ね合わせながら、ざっと「100年前」の関東大震災後のいわきを調べる――過去の出来事をのぞいているとは思えなくなっていた。

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