2008年4月1日火曜日

そして、いなくなった


いわき市平塩の夏井川に逗留していたコハクチョウが3月31日、幼鳥の1羽を除いてとうとう飛び立った――。

その3日前の3月28日早朝、ふだんとは逆コースで散歩を始め、堤防に立ってコハクの数をカウントしたあとに歩き始めると、後ろから「おはようございます」と聞きなれたMさんの声がした。

Mさんは1年中、対岸の「山崎の里」から軽トラを駆ってコハクへえさをやりに来る。冬鳥のコハクチョウがなぜ1年中か? 翼を折って飛べなくなった個体がいるのだ。残留年数の多い順からからいうと、「左助」「左吉」「左七」(「左七」はやはり飛び立てなかったらしい)。

いつものコースだと、えさやりを終えたMさんの軽トラに、すれ違いながら会釈をする。あるいは散歩の時間が少し早くなると、Mさんがあいさつ代わりに後ろからクラクションを鳴らしてえさやりに向かう。秋に3羽の仲間が飛来し、どんどん数を増すと、Mさんは忙しくなった。いつからか奥さんもえさやりに加わった。それが冬中続いた。

軽トラを止めたMさんが語る。
「左助が岸に上がっていたので、『左助、寂しくなるけど我慢しろよ』って言ったら、『ガオッ』って鳴いたんだ」
「そうですか。平窪(塩の上流の越冬地)では(3月24日に)完全にいなくなったようですね」
「そう、(夏井川白鳥を守る会から)電話がかかってきた」
「ここでは3羽がいるから、引きずられて残っているんですかね」
「今朝も11羽がやって来たんだよ」と、助手席の奥さん(この時点では、数は40羽。それが29日には半分になり、30日には4羽になった。31日に確認すると、残留組の3羽と幼鳥1羽だった=写真)。

ということは、数こそ前の日と変わらないが、個体は入れ替わっていることになる。塩の何羽かが北へ去り、もっと南にいた何羽かがやって来て羽を休める、という構図だ。

いわきを去ったコハクチョウの軌跡はどうか。誰も分からないが、ヒントになる本がある。『鳥たちの旅――渡り鳥の衛星追跡』(樋口広芳=NHKブックス)だ。

1990年4月10日、北海道のクッチャロ湖で送信機をのり付けされたコハクチョウの「のり子」はサハリンへ渡り、大陸のロシアへ飛び、北極海に注ぐ巨大河川「コリマ川」を北上して河口に到達し、やや北東部に移ったところで通信が途絶える。そこは「大小何千もの湖沼からなるツンドラ地帯の一大湿地」、つまりコハクチョウの繁殖地だ。

「クッチャロ湖からこの繁殖地までのり子が飛んだ距離は3083キロ、3週間あまりの旅だった」と同書は言う。ちなみに「のり子」は1986年から毎年、長野県の諏訪湖に飛来し、送信機を付けられた1990年の秋には幼鳥1羽を連れて現れた。色足環で確認された。

ハクチョウの寿命がどのくらいかは分からない。が、北の繁殖地と南の越冬地をハクチョウがどう往来するのかは、この本から少し分かった。長野もいわきも、シベリアから見たら同じような距離にある越冬地だ。

ひとまず、残留組の3羽と幼鳥1羽を除いて、人間と同じく年度末に塩のコハクチョウは去った。

心配なのは幼鳥である。体力がないのか、けがをして飛べないのか、単にノンビリ屋なのか。去年も南から北帰行中に立ち寄って何日か滞在するグループがあったから、そのグループがやって来たときに同行できればいいのだが――。

0 件のコメント: