若い仲間からデジタルカメラ用の400ミリ望遠レンズを借りた。子供の運動会か発表会にしか使わないからいいですよ、という。願ってもないことだ。
花を撮る。人を撮る。その程度なら、普通のレンズでもなんとかなる。鳥の写真は、そうはいかない。被写体自体が小さいから、いくら近づいて撮ったつもりでも、画面の中ではけし粒か米粒にしかならない。
早速、いつもの散歩コースで望遠レンズの威力を試す。最初は三脚なしで。
国道6号バイパス終点近く(いわき市平下神谷)、夏井川橋の中央の橋脚にチョウゲンボウが止まっていた。近づきすぎると飛び去るから、端の橋脚に隠れるようにしてレンズを向ける。デジスコ写真のようなわけにはいかないが、カメラのモニター画面にはそれなりに大きく映る。数枚撮って、意気揚々とわが家へ帰った。パソコンに取り込んで再生したら、なんとピンボケ・手ぶれ。とてもじゃないが使い物にならない。
やっぱり三脚が必要だ。昔、三脚を使って鳥を撮っていたときがある。2階の隅の方に三脚が綿ぼこりをかぶってあった。それをきれいにして、石森山へ入って植物の試し撮りをする。花は動かないから、離れたところからでも撮れる。葉の大きなエンレイソウを撮ったら、まずまずだった。鳥のつもりで花を撮る――そんな使い方もできるのだ。
朝、仕事を始める前に望遠レンズをデジカメに装着し、それを三脚に付けて、夏井川の堤防を車で行く。キジがカップルで現れる。チョウゲンボウがなにやら鳥を捕まえて羽をむしっている。車を止めて三脚を構えると、既に姿はない。
ではと、対岸で休んでいるコハクチョウを狙った。それが、この写真=左から左吉・左助・幼鳥(毎朝えさをやっているMさんは「さくら」と名づけた)・左七。
生態と表現を兼ね備えた鳥の写真を撮ろうと思ったら、こんなやり方では無理である。が、大事なのは人であれ生き物であれ、日々の営みを継続して記録すること。それを文と写真で伝えられるかどうか、である。
花を撮る。人を撮る。その程度なら、普通のレンズでもなんとかなる。鳥の写真は、そうはいかない。被写体自体が小さいから、いくら近づいて撮ったつもりでも、画面の中ではけし粒か米粒にしかならない。
早速、いつもの散歩コースで望遠レンズの威力を試す。最初は三脚なしで。
国道6号バイパス終点近く(いわき市平下神谷)、夏井川橋の中央の橋脚にチョウゲンボウが止まっていた。近づきすぎると飛び去るから、端の橋脚に隠れるようにしてレンズを向ける。デジスコ写真のようなわけにはいかないが、カメラのモニター画面にはそれなりに大きく映る。数枚撮って、意気揚々とわが家へ帰った。パソコンに取り込んで再生したら、なんとピンボケ・手ぶれ。とてもじゃないが使い物にならない。
やっぱり三脚が必要だ。昔、三脚を使って鳥を撮っていたときがある。2階の隅の方に三脚が綿ぼこりをかぶってあった。それをきれいにして、石森山へ入って植物の試し撮りをする。花は動かないから、離れたところからでも撮れる。葉の大きなエンレイソウを撮ったら、まずまずだった。鳥のつもりで花を撮る――そんな使い方もできるのだ。
朝、仕事を始める前に望遠レンズをデジカメに装着し、それを三脚に付けて、夏井川の堤防を車で行く。キジがカップルで現れる。チョウゲンボウがなにやら鳥を捕まえて羽をむしっている。車を止めて三脚を構えると、既に姿はない。
ではと、対岸で休んでいるコハクチョウを狙った。それが、この写真=左から左吉・左助・幼鳥(毎朝えさをやっているMさんは「さくら」と名づけた)・左七。
生態と表現を兼ね備えた鳥の写真を撮ろうと思ったら、こんなやり方では無理である。が、大事なのは人であれ生き物であれ、日々の営みを継続して記録すること。それを文と写真で伝えられるかどうか、である。
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