きのう(10月1日)の朝は傘をさして散歩した。雨は上がったものの、なにか空中に浮遊している微細な雨のかけらがある。雨なら散歩を休むのに、雨ではない。が、なんとなくてのひらがぬれる感じがする。首にかけたデジカメが気になって傘を手にしたのだった。
太平洋の河口までは歩いて1時間ほどの、いわき市の夏井川の堤防。市北部浄化センターの向かい側(右岸)に、残留コハクチョウが3羽いる。最古参の「左助」が合流して4羽になったのも、つかの間。「左助」はまたまたどこかへ消えた。流れに乗って河口の方へ移ったのだろう。
花火が上がった。7時。相変わらずなんの花火か分からない。だれか「花火打ち上げ情報」を発信してくれないものか。これこれ、こういうことで「ドカーン」とやるのだと。場所、時間も含めて。花火の音を聞くたびにしょうもないことを考える。
日中はわが家の2階で、昼寝抜きで仕事に集中した。午後には天気が回復し、夕方近くにはすっかり鉛色の空が晴れ上がった。部屋が明るくなったので、南向きの窓を開けると、全天青の中にふんわりと白い雲が漂っていた。
5時前に散歩へ出た。夕日が黄金色に燃えながら山の端に入ろうとしていた。雲がちらほら浮かんでいれば、これも赤く染まって大火事の様相を呈したことだろう。
「西高東低」になりきらない、ゆるやかであいまいな気圧配置の下にいるらしい。雲がホッカリ浮かんでいる。海辺の波を連想させる雲は木版画の多色刷りのように、白、ピンク、灰色に染まっている。
夏井川の堤防そばにある工場の煙突、いや煙突といえるのか。煙というより白い蒸気のようなものが天へとまっすぐ伸びている=写真。面白い、と思った。この一日、雨が過ぎて、雲が過ぎて、日没前に青空が戻ってきた。晴れて風のないやすらかな景色と時間を、まっすぐ天に吐き出される蒸気が体現している。
散歩コースでは唯一の工場である。一番自然から遠い存在である人工物も、こうしてぴたりと風景の中にはまることがある。発見といえば発見だった。
太平洋の河口までは歩いて1時間ほどの、いわき市の夏井川の堤防。市北部浄化センターの向かい側(右岸)に、残留コハクチョウが3羽いる。最古参の「左助」が合流して4羽になったのも、つかの間。「左助」はまたまたどこかへ消えた。流れに乗って河口の方へ移ったのだろう。
花火が上がった。7時。相変わらずなんの花火か分からない。だれか「花火打ち上げ情報」を発信してくれないものか。これこれ、こういうことで「ドカーン」とやるのだと。場所、時間も含めて。花火の音を聞くたびにしょうもないことを考える。
日中はわが家の2階で、昼寝抜きで仕事に集中した。午後には天気が回復し、夕方近くにはすっかり鉛色の空が晴れ上がった。部屋が明るくなったので、南向きの窓を開けると、全天青の中にふんわりと白い雲が漂っていた。
5時前に散歩へ出た。夕日が黄金色に燃えながら山の端に入ろうとしていた。雲がちらほら浮かんでいれば、これも赤く染まって大火事の様相を呈したことだろう。
「西高東低」になりきらない、ゆるやかであいまいな気圧配置の下にいるらしい。雲がホッカリ浮かんでいる。海辺の波を連想させる雲は木版画の多色刷りのように、白、ピンク、灰色に染まっている。
夏井川の堤防そばにある工場の煙突、いや煙突といえるのか。煙というより白い蒸気のようなものが天へとまっすぐ伸びている=写真。面白い、と思った。この一日、雨が過ぎて、雲が過ぎて、日没前に青空が戻ってきた。晴れて風のないやすらかな景色と時間を、まっすぐ天に吐き出される蒸気が体現している。
散歩コースでは唯一の工場である。一番自然から遠い存在である人工物も、こうしてぴたりと風景の中にはまることがある。発見といえば発見だった。
1 件のコメント:
コメントの送り方が判りませんで 何時も匿名になってしまい申し訳ございません。
花火ですが 草野の花園神社の子育参りの花火かも知れません。数年前、孫が2才になりましたときにお参りしました。息子達が2歳の時には実家の母と行き でんでん太鼓と刀、獅子頭のおもちゃなどを買って貰いましたので 孫にも同じように買いました。30年前はそれはそれは賑わっていましたが・・・
それから今朝 クワックワッという声に 「うそー もう? 」と思いながら空を見ましたら白鳥の群れが東の海の方から平の方へ向かって飛んでゆきましたね。
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