2008年10月10日金曜日

実家の近所が火事


関東圏にいる姉から電話がかかってきた。阿武隈の山の町=写真=にある実家の1軒先の隣家が火事になったらしい、という。

小学校の同級生の家ではないか。びっくりして実家に電話をした。義姉(ねえ)さんが説明してくれた。9月、真夜中に同級生の家の離れが燃えた。「うち(実家)の物置も延焼するかもしれない」と、一時は観念したそうだ。

翌日、いわき総合図書館へ行って福島民報と福島民友をめくった。9月13日付の社会面にベタ記事が載っていた。「12日午前1時25分ごろ、田村市常葉町字上町××、無職○×□△さん(81)方から火を出し、鉄骨木造2階建て住宅約230平方メートルを全焼した。/三春署と田村消防署が原因を調べている。1階は倉庫で、出火当時、○×さんは2階で寝ていた」

○×さんは、むろん知っている。同級生の母親だ。向こう3軒のうち2軒と両隣も、その隣も同級生の家。親で生きているのは○×さんだけではないか。無事でよかった。

常葉町は昭和31年の4月、強風が吹き荒れる夜に大火事に遭った。わが実家も含めて一筋町の大半が焼け野が原になった。表の通りが拡幅され、家の裏に道ができた。消防車が入れるようにした防火対策である。

で、わが実家を含めた隣と隣の3軒では大火事のあと、母屋の裏に倉庫(物置)が建った。同級生の家の倉庫は、同級生が家業を継いで結婚したあとに隠居家を兼ねるようになったわけだ。隣の家の倉庫も延焼したという。大火事以来の町中の火事ではなかっただろうか。

実家の倉庫が延焼したら梅漬けやキュウリの古漬け、塩蔵キノコなどの保存食材が灰になっていた。そのことも含めてだが、同級生の母親が無事だったことと、実家の物置が無事だったことで少し安心した。

0 件のコメント: