2010年1月3日日曜日
国民読書年
元日付の新聞で「2010年は『国民読書年』」だということを知った=写真。平成17(2005)年7月、文字・活字文化振興法が制定・施行された。5周年に当たる今年を「国民読書年」とすることが、おととし、衆参両院で採択されたという。
文字・活字文化振興法が成立したのは承知していたが、国民読書年は記憶になかった。長らく過ごしてきた文字・活字文化の職場から離れたのが大きいか。
それはさておき、いわき民報の特集「本の散歩道」中、〈いわきゆかりの本をひもとく〉に現代詩作家荒川洋治さんの『夜のある町で』が紹介されている。荒川さんはいわきに縁故がある。それで、講演をしたり、雑誌「6号線」の主宰者蓬来信勇さんが死去したときには追悼記念号に詩を寄せたりした。『夜のある町で』の紹介記事を次に掲げる。
〈朝のラジオ番組で、森本毅郎さんと文学や言葉について丁々発止のやりとりを繰り広げる現代詩人が書いたエッセー集。その中の「尋ね人」で、天田愚庵が登場する。いわきで“郷土の文化に詳しい地元の方たち”と食事した際、愚庵の存在を初めて知り、興味をもった著者は数奇な生涯を送った彼の足取りを調べる。「郷土の人物」にとどまる人ではない、と驚くのだった。〉
思わず苦笑した。“地元の方たち”の一人として、その場に居合わせたからだ。あやふやな記憶をたどると、「愚庵」を知らなかった荒川さんは、“地元の方たち”が「グアム」「グアム」と言うのを不思議な思いで聴いていた。やがて、正岡子規と親交のあった歌人天田愚庵と知って、「グアム」といわきはなんの関係もないことに安心する。
酒が入ると「アルコール性鼻炎」になる。いよいよ発音があいまいになる。みんな「愚庵」のつもりが「グアム」になっていたのだろう。
「尋ね人」は最初、新聞で読んだ記憶がある。そのエッセーを収録した『夜のある町で』も購入した。「国民読書年」の記事に触発されて本を探したが、どこにしまいこんだものか見当たらなかった。「国民読書年」を実りあるものにするためにも、手元にある本を一度きちんと整理しなくてはならないか。
★追記 記憶がどうにもあいまいなので、夕方、いわき総合図書館へ出かけ、『夜のある町で』を手にした。まったく違っていた。原文を記す。
「ある方が、グアムの研究をしていると。おもしろいなあ。東北で、グアム島の研究なんてとぼくは思った。それが顔に出たらしい。天田愚庵のことですよ、と教えられた。それでもぼくはわからない」
天田愚庵の研究者である故中柴光泰先生のことを言っていたのだ。エッセーの初出は1993年10月28日の日経夕刊。なんとも記憶はアテにならない。
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