2010年1月31日日曜日
セイヨウトチノキ
司馬遼太郎の『オランダ紀行――街道をゆく35』を読んでいたら、シーボルトが持ち帰ったというトチノキの話が出てきた。瞬時に昨秋、スウェーデンの同級生の家の窓から見たトチノキ=写真=のことが思い浮かんだ。
同級生の住まいは集合住宅の4階にある。なにげなく窓から外を見ると、南面する庭にトチノキの葉の茂りが見えた。なぜスウェーデンにトチノキがあるのか。同級生に聞いても分からない。話は要領を得ないまま途切れ、別の話題に切り替わった。
司馬さんの「オランダ紀行」は、トチの実を食べていた縄文時代の日本人の食文化に触れつつ、日本では古ぼけたイメージをもつこの木が「しかしフランスにゆくと、街路樹で知られるマロニエになってしまう。木の相が、ほんのすこしちがう」と続く。
このくだりを読んで、ばらばらに浮遊していた二、三の記憶が一つになった。トチノキにはセイヨウトチノキもあるのだ。ノルウェーのベルゲンで、日本人ガイドから「街路樹はマロニエが多い」という話を聞いた。が、そのときはまだセイヨウトチノキという認識はなかった。
セイヨウトチノキがあると知れば、見方は変わる。スウェーデンで見たトチノキは日本のトチノキではない、まぎれもなくマロニエだ。付け加えれば、マロニエはドイツではカスタニエン。フランクルの『夜と霧』に、強制収容所の窓から見えるカスタニエンの木に永遠の命を見いだして死んだ若い女性の話が出てくる。有名なエピソードだ。
マロニエは「マロンの木」、マロンはセイヨウトチノキの実のことらしい。マロンはクリの実と外見がよく似る。食べておいしいクリの実がいつしか「マロン」と呼ばれるようになった、のだという。ベルゲンの公園に植えられていた高木の並木、それがマロニエであったか。
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