2010年1月22日金曜日

外気浴


きのう(1月21日)の朝は曇りながら、寒気が随分緩んで散歩が心地よかった。そのあと、「庭木の剪定を」と催促され、幹にはしごをかけてギーコギーコやったら、汗が噴き出た。小名浜では正午前に18度を超えたという。真冬なのに5月上旬並みの暖かさときては、汗をかかないわけがない。

1月の寒気が一転して5月の陽気になる。寒暖の変化は自然のならいとはいえ、今週の寒暖の差は大きすぎる。人間を含む生物はしかし、この天気にさらされて生きてきた。晴れ・曇り・雨・風と絶えず変わる天気、いや「外気」に対応してきた。過酷すぎて対応できないときもあっただろう。

散歩はそれを実感する一種の生物的行為ではないか――このごろ、そんなことを考える。外気にさらされているからこそ、生物は生きられる。太陽の光を浴びて生きる草木はその最たるもの。いわゆる「光合成」だ。寒気の中で花を咲かせるスイセン=写真=を見れば、太陽の光の大切さがよく分かる。

人間もまた太陽の光を浴びることで体内にビタミンDをつくるのだという。逆に言えば、太陽の光に当たらないとビタミンDが不足する。人間も「光合成」をしているのだ。

佐伯一麦の小説『ノルゲ』にこんなくだりがある。「おれ」と「妻」が厳冬に北極圏の町トロムソ(ノルウェー)を訪れてテキスタイル作家に会う。そのテキスタイル作家は「SAD(急性冬期抑鬱症候群)と呼ばれる疾患の治療で大学病院の精神科にかかって」いた。治療法は「病院で、自然光に近い強力な人工光を三十分照射する」ことだった。

極夜の冬、日照不足は人間を暗欝な気分に追い込む。で、30分間「人工の太陽光」を浴びて気分を晴らす。この30分間が重要だ。紫外線対策から日光浴を戒める風潮があるが、人間はもともと「外気」にさらされて生きてきた生物的存在だ。せめて一日に30分は日光を浴びるべきではないか。

太陽が顔を出さない日も、30分は外気に触れる。散歩はその意味では「歩く外気浴」、真冬の今は「歩く寒気浴」だ。私の散歩時間も30分強にすぎない。一日に最低それだけは欠かせない、と思っている。

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