2010年3月3日水曜日
桃の節句
きのう(3月2日)の写真の一部に人形が写っていた。きょうは、その人形たちの話。
「桃の節句」を前に、カミサンが床の間の掛け軸を一具庵一具の句幅に替えた。同時に、本人が持っている人形を飾った=写真。私はその方面にはうといから、〈ああ、飾ってあるなぁ〉と感じる程度。よく見もしない。
わが子どもは二人とも男。5月に兜(かぶと)を飾ることはあっても、雛人形を飾ったことはない。夫婦二人だけになって久しい。それでも、桃の節句には人形を飾る、端午の節句には兜を飾る――そういうことを欠かさない。
先日、近くに住む長男一家が来た。ヨメサンは宝塚ファンだが、床の間の人形たちにはちょっと身を引いた。
いたずら盛りの孫も近づかない。もっとも、孫はどこかの文化施設の遊戯コーナーで遊んでいるうちに、とびおりそこねてネンザした。歩けないので、はって遊んでいる。それで近づかないのではない。去年、カミサンが人形の一部を棚の上に飾ったときも反応は冷ややかだった。いや、攻撃的だった。なぜか。「かわいい」よりも「怖い」のだ。
よく見ると、洋服姿の青い目、和服を着た黒い目の人形だけでなく、大小さまざまな人形が15くらいある。リアルだ。
これでは、われらが寝静まった夜中に目をぱちくりやって動き出しかねない。「おもちゃのチャチャチャ」ではないが、人間が深い眠りに入ったころ、フランス人形も、日本人形も、ほかの人形もむっくり立ちあがって遊びを始めるのではないか。
チャチャチャだけではない、いわきだからジャンガラ踊りも――来月3歳になる孫が人形と向かい合って緊張するのは、彼女たちが今にも動き出そうとしているのを察知するからではないか。
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