2010年3月5日金曜日

岩の上の馬頭尊


夏井川渓谷(いわき市小川町)を縫って走るのは県道小野・四倉線。明治十年代の中ごろ、県令三島通庸によって開設されたという。「磐城街道」と呼ばれた。

浜通り歴史の道研究会編『道の文化財――福島県浜通り地方の道標』によれば、県道小野・四倉線は、古い時代にはなかった。江戸時代に上小川の本村から川前へ、小野新町へ行くとすれば、現国道399号沿いの横川から山を越えて夏井川渓谷の江田へ下り、川前へ行く――というのがルート(本道)だった。

平野部の片石田からその先、夏井川に沿う高台の高崎、さらに奥の地獄坂~江田の間には道があったのだろうか。あったにしても脇道だったようだ。

高崎の夏井川第三発電所入り口。道路をはさんで、木橋の「勇人橋」と「湯殿山」の道標が向かい合っている。『道の文化財――』が取り上げている県道小野・四倉線沿いの道標は、この「湯殿山」と「小野町夏井高屋敷道標」の二つ。

夏井川渓谷の牛小川集落入り口付近にある「馬頭尊」は漏れた。調査に費やす時間が少なかったのか。

もっとも、この道標は頭上より高い岩の上にコンクリートで安置されている。一升瓶の入った箱をギュッと圧縮して横に広げたような大きさだ。一般の人の目にはほとんど触れない。道路改修の際に、“神棚”にでもまつるような感覚で移設されたのだろう。

先日、渓谷にある無量庵から下流の籠場の滝付近まで歩いたら、この馬頭尊にミカンが供えられていた=写真。打ち捨てられているわけではない、気に留めている人がいる――。うれしい発見だった。

マチの人からみたら取るに足らない行為かもしれないが、地域の隅っこからみると、こうした心の作用が集落維持の基礎をなしているのだということが分かる。牛小川のだれかが供えたのだろう。道端にある石碑は物としてそこにあるのではない。人の心が注がれた道端の文化財だ。

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