2010年3月25日木曜日

松島や……


文化9(1810)年から文政元(1818)年までの6年2カ月、日向・佐土原の山伏、野田泉光院(1756~1835年)が全国を旅して回った。

石川英輔著『泉光院江戸旅日記』によれば、文化13(1814)年陰暦8月15日には、松島で中秋の名月を楽しんだ。前日には瑞巌寺を参詣している=写真(参道)。16日は朝から船で松島を一周し、昼過ぎ、塩釜に着いた。

満月の晩は、天気がよかった。「今夜の月を見ずば、回国の人間にあらずとて滞在す。昼のうちは名所一見に廻る。夜に入り月出ずれば、大島小島、月銘々に出ずる如く、絶景言葉もなし。一句、『松島や さて月今宵 月今宵』」

泉光院は俳諧上手でもあった。行く先々で托鉢をして回り、一宿一飯の世話になり、請われて句を贈ったり、祈祷をしてやったりした。

松島を訪れたあと、山寺を経由して出羽の上大塚村(現山形県東置賜郡川西町西大塚・大塚・東大塚)に入る。その地の俳諧指導者に豪農の高橋湖翠がいた。訪ねたが留守だった。「萩の戸を 叩けば空し 風の音」という句を書き残した。その後、会ったかどうかは分からない。

湖翠は初号。のちに古翠と改める。出羽の国出身で、磐城平の專称寺で修行した俳僧一具庵一具(1781~1853年)とは、同じ松窓乙二門。一具の先輩に当たる。二人は親しく交流した。

その一具に「松島や みな月もはや 下り闇」という句がある。「下り闇」がよく分からないが、「松島や ああ松島や……」を連想させる泉光院の句よりはよほどいい。

松島は「八百八島」のほかに、島の間から立ち昇る朝日と満月が売りらしい。その写真が、ホテルかどこかにかかっていた。今回は天気に恵まれなかったが、晴れて穏やかな日には、泉光院よろしく「絶景言葉もなし」という感慨を抱くのだろう。これぞという松島の名句がない(寡聞にして知らないだけだが)のは、やはり絶景すぎるからか。

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