いわき市危機管理課主催による自主防災組織研修会が1月29日午後、市文化センター大ホールで開かれた。
よその行政区もそうだろうが、わが区では区の役員が自主防災会の役員を兼ねる。区の役員になって5年、市内全域を対象にした研修会は初めてだ。各組織1人限定で対象424人ときては、会場は大ホールしかない。駐車場も午前中には満パイになった。
東日本大震災・原発事故の教訓として、自主防災組織に多様な役割が求められるようになった。そこで、組織の再点検とこれからの取り組み(規約、防災計画、資機材の確認、防災士養成事業など)について、危機管理課の職員が説明した。組織の機能を強化し、防災リーダー(防災士)を養成して、自助・共助による地域の防災力を高めるのが目的だという。
もっともな話だが、現実は厳しい。区の役員のなり手がいない。役員が高齢化している。どうやって組織の再編・強化をしたらいいのか――市は難しい宿題を出したものだ。それが研修会前半の感想。
後半は、山口県宇部市防災危機管理課主任の藤田慎太郎さんが「自主防災組織に期待する役割と宇部市の取り組みについて」と題して講演した=写真。名前と顔に覚えがあった。
というのは、こういうことだ。震災直後の2011年3月26日、藤田さんは宇部市の先遣隊としていわき市入りした。国際NGO「シャプラニール=市民による海外協力の会」のスタッフも、3月19日からいわきで緊急支援活動を続けていた。27日に初めて、いわき連絡会の私ら夫婦とシャプラのスタッフが合流した。
その日、27日に市社協、市本庁関係者と会い、勿来地区で災害ボランティアセンターを立ち上げる動きがあると知って、市勿来支所に直行した。そこでさらに情報を得て、錦須賀海岸の津波被災現場を訪ね、やがて勿来ボラセンの中心になる知人や宇部市役所の弘中秀治さんらに会ったのだった。
勿来地区災害ボランティアセンターは4月9日、いわき市内で最初に開設された。藤田さんやシャプラのスタッフは、これまでのノウハウ、知識を生かしてボラセンの運営に協力した。それからおよそ1カ月半後の5月20日、勿来の災害ボラセンは所期の目的を果たして閉所した。
宇部市といわき市のつながりは、震災直前の1月、いわき市の常磐炭田史研究会が同じ炭鉱都市だった宇部市を訪れた縁による。そのとき、宇部を訪れた1人が当時の市勿来支所長だった。縁が縁を呼び、交流が重なって、2014年1月14日には両市の間に「災害時相互応援協定」が結ばれた。
話がそれた。藤田さんは講演で、大規模災害の発生直後には行政は役に立たない、必要なのは「受援力」(外部からの支援を受ける力)だと締めくくった。そのためには個人レベル、組織レベルでの「つながり」が大切、ということだろう。自分にではなく、ほか(行政など)に要求する「〇〇すべきだ」の「べき論」からの脱却を――にも共感をもてた。
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