2015年2月2日月曜日

第5回いわき昔野菜フェスティバル③

 今年のいわき昔野菜フェスティバル(1月28日)では、初めて夜の懇親会に参加した。昔野菜の生産者や、ランチプレート=写真=をつくり、トークライブも行った山形・鶴岡の奥田政行シェフと、いわきの萩春朋シェフなどの料理人、基調講演をした江頭宏昌山形大准教授らが顔をそろえた。

 流れで生産者と料理人などのテーブルに分かれた。私は生産者のテーブルについた。江頭さんもあとからやって来た。

 酒席は情報の交差点だ。面白いと思ったら、私は箸袋やナプキンなどにメモをする。その場で記録を残しておかないと、翌日にはきれいさっぱり忘れている。江頭さんも時折、ペンを走らせていた。メモカードのようなものを常時携帯しているらしい。私のメモから二、三――。

まずは「稲と豆」の話。昔は6月に田植えをしたあと、畔(あぜ)に大豆の種をまいた。大豆は晩秋、稲を刈り取ったあとに収穫した、といわき市南部の生産者。

 年末、海に近い農村でカミサンのいとこの葬式が行われた。先祖が酒造業だったという親戚がいた。同じ村にかつては何軒か酒をつくる家があった。臨席者に「水がよかったのか」と聞けば、「米が余ったからだ」という。
 
 畔に植わった大豆はやがて自家製の味噌や醤油になった。むろん、未熟なものを塩ゆでして夏の暑い盛りにつまむこともあったようだ。

そのときどきのメモを組み合わせると、わからなかったことや、もやもやしていたものが見えてくることがある。田んぼの産物が米・味噌・醤油になり、副次的に酒になった、ということもそのひとつだ。
 
 イノシシのグルメぶりにも話が及んだ。ユウガオとカボチャがあった。ユウガオには見向きもしなかった。水分はたっぷりあるが味気がない、ということを知っているのだろう。そんな話だった。
 
 かねて気になっていたことを聞いてみた。原発事故のあと、双葉郡からカラスやスズメが引っ越して来ていないだろうか。カラスもスズメも人間に依存する野鳥だ。人間が避難していなくなったら、どこか人間のいるところへ移るはず――。
 
 いわき市北部の生産者が反応した。広野町だか楢葉町だかに行ったときのこと。熟した柿の実が残っていた。普通なら鳥につつかれてなくなっているのに、と不思議でならなかったそうだ。
 
 私は、いわきの平地のネギと山地のネギの話をした。山地のネギは「秋まき」、平地のネギは「春まき」だ。同じ市内でも「ネギの種の道」は違っている。秋まきネギの話にいわき市南部の平地の生産者が目を丸くした。

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