2015年2月4日水曜日

「白きこと二寸」

 日曜日(2月1日)の昼間、地元の中華料理店で区の役員新年会が開かれた。少しビールを飲んだので、夕方、魚屋さんへ刺し身を買いに行くのをやめた。次の日の夕方、焼酎の「田苑」がないのに気づいた。スーパーへ買いに行った。十三夜の大きな白い月が東の空に昇りかけていた。

 スーパーの鮮魚コーナーには、いつものように解凍マグロやカツオの刺し身が並んでいた。刺し身は行きつけの魚屋さんで、と決めているので、“浮気”はしたくない。通りすぎようとしたら、小さなパック入りの半透明の小魚が目に入った。「青森産白魚刺身用」とあった。

 年明けの1月半ば、ローカルニュースでシラウオの水揚げを知った。ツイッターなどでも「うまいシラウオ」の情報が流れていた。前日、刺し身が食べられなかった代わりに、シラウオの生食を体験してみるか――急に思いたって、パックを買い物かごに入れた。

 長さは爪楊枝(つまようじ)ていど、量は片方のてのひらにのるくらい。それで196円だった。わさび醤油で食べた=写真。スプーンやフォークですくうならともかく、箸(はし)では一度に2~3匹しか口に入れられない。食べ終えるまでに結構、時間がかかった。

 芭蕉に有名なシラウオの句がある。「明けぼのや白魚白きこと一寸」。「白魚」は初春(立春~啓蟄の前日)の季語だ。きのう(2月3日)は節分、きょうがその立春で、宵には満月が昇る。

 シラウオを食べながら思ったのだが、青森産のそれは「白きこと二寸」はある。で、ネットでその違いを検索したら、芭蕉が食べたシラウオは冬場の幼魚だろう、とあった。「白魚一寸」の場合は、だから冬の季語というわけだ。

 それを踏まえての妄想。芭蕉の「白きこと一寸」は「事実」ではなく、「俳句的真実」、つまり作品としてそうでなければならない、というゲージュツが生みだした長さではないだろうか。
 
「おくのほそ道」が文学作品としては高く評価されながらも、随行した曽良の日記と相違点があるのは、芭蕉が「事実」より「俳句的真実」に力点を置く詩人だったから。俳聖の作品には「だまされてやるか」くらいの思いで向き合うのがいいのかもしれない。

0 件のコメント: