あしたから3月。いわきの平地では、すでに白梅が満開のところもある=写真。春が少しずつ身の回りに増えてきた。書類の更新・作成その他、いろいろ「締め切り」が多くなる年度末でもある。
ふだん、「締め切りだけが人生だ」なんていっているせいか、清川妙さんのエッセー集『清川妙 91歳の人生塾』(小学館)に、「締め切り」の話が載っていると、カミサンが本をよこした。清川さんは昨年(2014年)11月中旬、93歳で亡くなった。
2007年秋に会社を辞めて、やっと「締め切り」のない生活を楽しめると思ったのも束の間、年が明けると次第に落ち着かなくなった。
ちょうどそのころ、若い仲間から「ブログをやりましょう」と声がかかった。アナログ人間なので、デジタルの知識・技術にはうとい。全部セットします、文章を打ち込むだけでいいです、というので、2008年2月下旬、「新聞コラム」の感覚で「ネットコラム」を始めた。
一日に1回は自分に「締め切り」を課する。一日をその「締め切り」を軸にして編集する。そうして、夏井川渓谷の隠居に泊まったときや、旅行をしたとき以外は毎日アップしてきた。満7年がたった今、記事は2400本近くになった。備忘録だ。先日、「よくもあきないねぇ」と人生の先輩の女性に言われたが、自分でもそう思う。書きたいことが次から次にわいてくる。
清川さんの話に戻る。エッセーのタイトルは「心に締め切りを持とう」。「39歳で執筆生活をはじめて以来、ひと月も休まず、締め切りというものと付き合ってきた」「もしかしたら私にとって締め切りとは、ひとつの挑戦なのかもしれない。(略)何も意識しなくても日々流れていく時間を、あえて自分で意識して管理していくこともある」と、「締め切り」の効用を述べる。
同感だ。付け加えれば、それまで存在しなかった文章が蓄積される、ゼロからなにかが生まれる、といった喜びもある。
さらにいえば、文章の締め切りだけが「締め切り」ではない。回覧物を月に3回配る、所属する団体の書類をつくる、案内はがきを印刷して投函する――そういったこともすべて「締め切り」付きだ。この「締め切り」が終わったら、次の「締め切り」がやってくる。その繰り返し。「締め切り」が自堕落になるのを防いでいるのかもしれない。
きのうも、公共施設関係を利用するための書類提出を忘れていて、「締め切り」間際の夕方に駆け込んでやっとセーフになった。寒いのに冷や汗が出た。
清川さんは「締め切り日のある生活は、きびしいけれど、メリハリのある、いきいきとした生活で、老化防止には絶対効果的ですよ」という。結局はそこにいくのか。
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