2015年9月14日月曜日

谷間の集い

 夏井川渓谷の隠居・無量庵を宿に、年1回、同級生が集まって1泊2日の飲み会を開いている。平高専(現福島高専)3期のM(機械工学)とC(工業化学)から7~8人が参加する。
 酔った勢いで無量庵からスウェーデンに住む同級生に国際電話をかけ、北欧への還暦修学旅行を敢行したのが2009年秋。以来、海外・国内旅行の合間をみて無量庵に集う。

 今年は、仲間と2月に台湾を再訪し、1、5月にいわき湯本温泉旅館での集まりに参加した。おととい(9月12日)の夜、無量庵で開かれた集いは、その意味では今年4回目の会合だ。

 食料調達担当としては、メーンは刺し身(カツオ大皿1、その他の盛り合わせ大皿1)以外に考えられない。行き付けの魚屋さんに予約したが、台風が接近している、カツオが手に入るかどうかは当日朝にならないとわからない、ということだった。

 折からの大雨で渓谷の道路が通行止めになった。が、これは落石事故の予防措置だ。雨がやむと間もなく規制が解除された。集い当日の早朝には、東京湾を震源とする最大震度5弱の地震が起きた。首都圏組の足は大丈夫か心配になったが、結果的には台風も大雨も地震もしのいで予定通りに集いが実施された。

 先着組から順次ビールでのどを潤し、全員がそろったところで「カツ刺し」を出す。刺し身の盛り合わせを先に出しておいて正解だった。魚屋の若だんなは、1級品ではないけど味はまあまあ、と言っていたが、首都圏の人間には1級品に感じられたのではないか。

 この集いにはいつも「後片付けはおれに任せろ」という人間が参加する。ホストとしては大いに助かる存在だ。が、これまでに何回片づけてくれたことだろう。宴の夜は「まかせろ」が、頭痛の朝を迎えてお昼近くまで眠っていることが多かった。今回は珍しく早々に寝た。朝には完璧なほど、座卓の上をきれいに片づけた。

 私も早い時間にタオルケットをかぶり、敷き布団なしで寝た。夜中、体が痛くて何度も目が覚めたが、そのつど増水した渓流=写真=の音を土砂降りの雨音に間違えた。現役のころは毎週末、隠居に泊まっていたから、早瀬の音と雨音の区別はついた。今は泊まることがなくなって、山里の半住民としての感覚がすっかり衰えてしまったのだ。

 無量庵に人が泊まると、旧知の新聞販売店主が新聞を置いていってくれる。何度目か目が覚めたときには朝5時になっていた。玄関の戸を開けると、軒下のいすの上に新聞があった。現役のころから変わらない。ありがたいことだ。

 コンビニ買いおきのおにぎりとみそ汁で朝食をとったあと、ほぼ全員が一斉に薬を飲み始めた。気持ちは「19歳の老少年」でも、年齢を四捨五入すれば「古希」になる。肉体的な衰えは隠せない。「後片付けはおれにまかせろ」氏が有言実行をしたのも、夜更かしをする体力がなくなってさっさと眠りに就いたからだ。だれもが二日酔いにならずに済んだのはそのためだろう。

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