週末に夏井川渓谷の隠居・無量庵で過ごした。土曜日(9月12日)、同級生が無量庵に集合して旧交を温め、翌朝9時には現地で解散した。私はそのあと少し土いじりをし、隠居の周りを散策してから帰った。小流れにツリフネソウ=写真=が咲いていた。渓谷の季節が秋に移ったことを実感した。
同級生との触れ合いを楽しんだあとの、週明け14日午前、知人夫妻が来訪した。奥さんは看護師の資格を持っている。カミサンがわが家の後ろの家に住む実弟の話をした。
4日前の金曜日、本人が具合が悪いというので、私の車で医院へ連れて行った。付き添ったカミサンの話では、その医院では専門外の病気らしかった。別の病院に紹介しておくので、連絡があったら行くように――ということで、土・日と過ぎ、月曜日になった。具合がさらに悪くなっていた。
カミサンが奥さんに相談し、検査結果を見せたら、「すぐ救急車を呼ぶべきだ」という。症状からいって病院からの連絡待ちでいいのか、とモヤモヤしていた気持ちが、元看護師さんのことばでふっきれた。
すぐ義弟を車に乗せて紹介された病院へ向かう。知人夫妻が同行してくれた。おかげで夕方には入院治療という運びになった。途中、私は予約していた歯医者へ出かけ、そこへカミサンから「すべて完了、ご夫妻に家へ送ってもらった」という連絡が入った。
私ら夫婦が昼食抜きで弟に付き添うのは当たり前。知人夫妻も昼食抜き、しかも義弟の入院が決まるまで付き合ってくれた。
なぜそこまでできるのだろう――奥さんは看護師だから、ということもある。昼前、カミサンから話を聞いたとたんに、ふんわりとした話し方がプロフェッショナルな口調に変わった。
詩を書くご主人もまた、目の前の人間の窮状を見過ごせない人だ。津波被災者や原発避難者に寄り添った詩を書いている。せめてそばにいるという、そのことだけでどのくらいこちらの気持ちが救われたか。
夜、下着類などをもって病室を訪ねると、義弟は管とつながりながらもベッドに座っていて、酸欠状態がかなり緩和された様子だった。あれこれ欲しいものを注文するので、苦笑した。
3年近く前、私も似たような病気になった。私はドクターに嘆願して「自宅入院」で済んだ。その経験からいうのだが、元看護師さんという「時の氏神」がいたからこそ、義弟は命拾いをした。
病院からの帰り、スーパーで買い物をし(知人にばったり会った)、空腹を満たしたのは夜8時過ぎだった。長い一日だった。
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