2015年9月27日日曜日

「母ちゃん」と呼ぶ声が

 おととい(9月25日)の福島民報社会面に、佐藤福起(ふき)さん、102歳の死亡記事が載った=写真。元いわき地域学會副代表幹事で、拙ブログにもときどき出てくる歴史研究家の故佐藤孝徳さんの母上だ。
 7歳年上の孝徳さんとは、私が30歳前後のころに知り合った。もう40年近く前のことだ。いわき地域学會が旗揚げしてからはたびたび顔を合わせた。彼が浜の昔話や専称寺史を本にするときには校正を担当した。江名の自宅にもときどきお邪魔した。そのつど母上と話した。

 孝徳さんはずっと野にあって歴史研究を続け、やがていわき市文化財保護審議会の委員になり、会長を務めた。平成22(2010)年5月30日、共通の知人でもある氏家武夫さんの通夜へ行った足で友人宅へ寄り、深夜、帰宅直後に急死した。本来なら、一回忌の法要に友人・知人を呼ぶところだが、東日本大震災でそれができなかった。代わりに、三回忌の法要に仲間が呼ばれた。

 佐藤家は港の近くにある。家並みが続き、少し奥まっていたために、津波被害はさほどではなかった。「庭に波がサワサワやって来て、沼のようになった。水は黒くて、ブクブクしてね。(草野から)江名に(嫁いで)来て80年、初めて津波を経験した」と、そのとき99歳の母上が語っていた。

 佐藤家で二度、浜料理をごちそうになったことがある。記録を見ると、二度目は平成3(1991)年7月。「タイが手に入ったので、あしたの晩来い」とざっと10人に招集がかかった。

 まず出てきたのが、タイ、アイナメの刺し身とカツオの塩辛。次に、アイナメの煮物とアワビ、カツオの刺し身。締めくくりは、アワビと貝焼きウニの炊き込みご飯、塩味のタイのあら汁。マンボウの刺し身を食べたのは、その前だったか。いずれも浜の「おふくろの味」、母上と義姉ら家人がつくったものだ。多彩で豪華ないわきの浜の食文化を体験する、またとない機会となった。

 三回忌のときに孝徳さんの盟友で歴史研究家の小野一雄さん(小名浜)が、孝徳さんとの共著『ふるさといわきの味あれこれ』(非売品)を冊子にして霊前にささげた。
 
 平成8(1996)年、朝日新聞福島版に孝徳、一雄さんが「ふるさとの味 いわきから」を連載した。冊子にはそのときの浜の味37編が収録されている。佐藤さんが28編を、小野さんが9編を担当した。体に「お袋の味」がしみこんでいたからこその仕事だろう。
 
 孝徳さんはそばに他人がいようと、母上には「母ちゃん」と呼んで用事を頼んだり、昔のことを聞いたりしていた。記憶力が抜群で、体も丈夫だった。長男を見送り、次男の孝徳さんにも先立たれ、津波にも遭遇した。が、今はまたあちらで一緒になれる。孝徳さんがすぐそこまで迎えに来ているのか、私には「母ちゃん」と呼ぶ声が聞こえてならない。

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