福島県歴史資料館から、定期的に「福島県史料情報」が届く。たまたまわが家がいわき地域学會の事務局になっているからだが、いわき地方の史料も載るので目が離せない。
Å3判二つ折り、つまりはA4判4ページで、フロントページと合わせて数点の史料を紹介している。
前にマンボウの史料が載った。それを参考にしながら、ブログを書いたことがある。記録をみると、7年前(2017年)の3月だった。
――「福島県史料情報」第47号が届いた。なかに、「佐竹永海が描いた磐城産のマンボウ」の記事があった。筆者は地域学會の会員でもあるWさんだ。
嘉永3(1850)年、国学者山崎美成(よししげ)が5巻5冊の随筆集『提醒紀談』を刊行する。
挿絵の多くは、会津生まれで彦根藩の御用絵師佐竹永海(1803~74年)が描いた。
その一つに、マンボウの外形と皮をはいで肉や内臓を描いた「牛魚全図」がある。「牛魚」はマンボウのこと。
マンボウは、ほかに「満方」「満方魚」「万寶」と表記され、「ウキキ」と呼ばれて「浮亀」「浮木」などとも書かれたという。
見出し以外に「磐城産」の文字は出てこないが、江戸時代、マンボウといえば磐城産で通っていたのだろう――。
というわけで、新聞コラムのつもりでブログを書いている元記者にとっては、「福島県史料情報」は「ひそかなネタ元」のひとつではある。
最新号(第69号=2024年6月)は、個人的には二つの史料に目が留まった=写真。
1面トップの「福島県域初の民間新聞」、そして写真では右上に位置する「『古社寺建築物調』に見える白水阿弥陀堂」。白水阿弥陀堂については、やはりWさんが執筆している。
明治31(1899)年の内務省訓令に従って、県は翌年、『古社寺建築物調』を作成する。この公文書には県内80余の建物の平面図が収められている。
そのひとつに昭和27(1952)年、建築物として県内で唯一、国宝に指定された白水阿弥陀堂がある。
白水阿弥陀堂は古社寺保存法によって、明治35年7月31日、特別保護建造物に指定される。が、翌年1月8日、暴風のために倒壊する。
「この平面図は、大規模な修復・復元工事が施される前の白水阿弥陀堂を正確に記録したものであり、建築史研究の上で大変貴重な史料」だという。
明治時代の白水阿弥陀堂に関する情報を得てからほどなく、県紙がこの史料を大きく取り上げた。
なるほど。ネタは誰にでも公開されている。記者のアンテナが反応するかどうかだと、今さらながらに思った。
それはそれとして、県内初の民間新聞「官許福島新聞」は明治7年2月に創刊された。福島市の神社の社司が興した開明社が発行元というが、残念ながら1年余りで廃刊になった。
いわき地方初の民間新聞「いはき」は、それより33年遅れて明治40年5月に創刊される。発行人は吉田新聞店主の吉田礼次郎(平)。こちらはクリスチャンだった。
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