2024年7月24日水曜日

日常に戻る

          
  6日間の病院生活を経て、月曜日(7月22日)、いつものシャバ(日常)の暮らしに戻った。

そのときの様子の一部を、火曜日のブログに書いた。ブログそのものも7日ぶりに再開した。

ビフォー・アフターでいえば、前は晩酌をやりながらブログの下書きをつくった。今は手術直後なので、しばらくは「自主禁酒」を続ける。

で、日中に下書きをつくり、原稿に仕上げる。それを翌日の未明ないし早朝にアップする。アフターでは、禁酒と日中の下書きづくりが一番大きい変化かもしれない。

やはり、シャバの暮らしは忙しい。帰宅2日目の朝5時45分。起きるとすぐ、区内会の役員さんと担当する隣組の班長さん宅に、3日遅れの回覧資料を配った。

夏場は新聞配達よろしく、この時間帯に回覧資料を配ることがある。もちろん、手渡しするようなことはしない。そっと置いてくる。

酷暑対策でそうするようになったのだが、それでも熱帯夜に続く朝である。駐車中の車は、すでに朝日を反射して熱を帯びている=写真。

回覧配りからの帰路、コンビニに寄ってボールペンを買った。これがないと、メモ(身辺雑記)を書けず、原稿の下書きもつくれない。

家に戻ってからは、玄関と茶の間の戸を開け、台所の糠床をかき回した。入院中はカミサンが代行した。水っぽかったので小糠を足し、食塩を加えたという。

手触りからいうと、糠の量はいいかもしれない。しかし、まだ水分が過剰のようだ。いずれ水抜きをするとして、食塩を追加した。

朝にキュウリを入れたら、夕方には取り出す。これが一般的で、カミサンもそのつもりでキュウリを取り出したそうだ。半漬かりなのはそのためだったか。

私は、味がしみるまで24時間をかけていた。それだけ今年の糠床は塩分が不足していたということだろう。

高血圧症でもあるので、塩分は控えめに――とはいわれている。糠床まで高血圧扱いをしていたか、などと、手抜きを棚に上げて、自分にだけ通じるダジャレを脳内で言ってみる。

それから朝風呂に入る。資料配りのときは半そでとズボンだったが、風呂から出ると、父の日にもらった薄手の「甚平」に着替えた。

入院前は、夜は普通のパジャマだった。退院後は夜だけでなく、日中も、この甚平で過ごすことにした。

扇風機の風が甚平を通して素肌に触れる。しかも、今年(2024年)は2台にした。日中、汗がタラタラ流れるようなことはなくなった。

入院中は口にしなかったものがある。「塩分制限食」ということで、味噌汁が食膳にはなかった。むろん、漬物も。

味噌汁なしは想定外だった。退院して一番うれしかったのは、この味噌汁が復活したことだ。義弟が糖尿病なので、減塩味噌汁には慣れていたが、「全くなし」では食べる楽しみも半減する。

病院食の楽しみを語ること自体、不謹慎なのかもしれないが、朝はやはり味噌汁が欲しい。家に戻って、味噌汁を飲んで、そのありがたみを実感した。

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