2024年7月13日土曜日

詩集『遠い春』

                              
 いわき市在住の詩人斎藤貢さんから詩集『遠い春』(思潮社、2024年)の恵贈にあずかった=写真。

 斎藤さんは高校の先生をしながら詩を書いてきた。知り合ってから30年以上はたつだろうか。

 東日本大震災と原発事故が起きたとき、斎藤さんは原発に近い小高商業高校の校長だった。

以来、斎藤さんは地震・津波・放射能の災厄と向き合い、なかでも原発事故の不条理を見据えて詩を書き続けている。

『汝は、塵なれば』(2013年)、『夕焼売り』(2018年)の延長線上に、今回の『遠い春』がある。

3・11から2年後、全国文学館協議会の共同展「3・11文学館からのメッセージ 天災地変と文学」が開かれた。いわき市立草野心平記念文学館のテーマは「3・11といわきの詩人、歌人」だった。

斎藤さんの詩集『汝は、塵なれば』と、高木佳子さんの歌集『青雨記』(2012年7月、いりの舎刊)から作品が選ばれた。そのときのブログを抜粋する。

 ――斎藤さんの作品「南相馬市、小高の地にて」は、小高商校長として体験した3・11の“ドキュメント詩”だが、後半部に彼の思想がこめられる。 

「見えない放射線。/ヨウ素、セシウム、プルトニウム。/それはまるでそれとも知らずに開封してしまったパンドラの箱のようで/蓋を閉じることができずにいる。」

「わたしたちは、ふるさとを追われた。/楽園を追われた。/洪水の引いた後の未来には、果てしない流浪の荒野が広がっていて/神よ、これは人類の原罪。 /これを科学文明の罪と呼ぶのなら/この大洪水時代に、ノアはどこにいるのですか。/地球は巨大な箱船(アルク)になれるのですか。」 

「いくつもの厄災が降り落ちてくる星空をながめながら/カナンの地まで。//荒野をさまようわたしたちの旅は/いったい、いつまで続くのだろうか。」――。

 今度の詩集の表題でもある、最初の詩『遠い春』を読んだとき、原発に対する斎藤さんの根源的な問いは変わっていないことを知った。

 「みちのくの/小さな声が、見えない春に問いかけている。/火をつけたのは、だれか。/恐ろしい災いを置いていったのはだれか、と。」

 あるいは、「あの日から、/ひとはうなだれて、肩を落として歩いている。/苦しいなぁと、こころのなかでつぶやいている。」という詩句には、こちらの姿まで重なる

 それぞれの作品の最後に「反辞(かえし)」が付く。「遠い春」の場合は強制・自主を含めた避難と分断。「それぞれが孤独な戦いを強いられました。それはまだ終わりません」

 文明が生み落としたこの手負いの怪物は、いつ再び暴走を始めるかわからない。いわきの人間も、いつカナンの地を求めて流浪の旅に出るかわからない、そんな懸念が今もときどき胸をよぎる。春はやはり遠い。

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