2024年7月6日土曜日

部屋に届く一筋の光

         
 これは夏至のころの、わが家の「レイライン(光の道)」には違いない。

 東側の台所の壁に古いタイプの換気口が二つある。まだ家の中か薄暗い5時半ごろ、そこから茶の間のカウチとそばの押入に朝日が差し込む=写真。

 少し時間がずれると、レイラインは消える。そのときだけ人間が見ることで生まれる「感動」といってもいい。

 春分あるいは秋分の日に、日の出・日の入りが東西の線と重なる。春分のあとの夏至までは日の出の位置が北に寄り、秋分から冬至までは逆に南に傾く。

 何年か前にレイラインの話を聴いた。夏至や冬至、春分・秋分といった節目の日に太陽の光と結ばれる「聖地」がある。

わけのわからない「パワースポット」とは違って、地学的データやGPS(全地球測位システム)を利用し、聖地の構造を科学的に分析する。合理的に聖地性の理由を説明できるのだという。

 その話を受けて、冬至の朝のレイラインを見に行ったことがある。場所はいわきの中心市街地・平の西方高台にある子鍬倉神社だ。

境内に八坂神社がある。冬至の朝、拝殿と参道、鳥居を結ぶ線の先から朝日が昇る配置になっているという。

冬至からは1日遅れの朝6時54分、八坂神社の参道に立つと、東の木々の間で一部、白銀のように明度を増すところが現れた。

やがて、そこが黄金色になったかと思うと、赤々と輝き、光線が放射状に伸び始める。まさしく鳥居の真ん中から朝日が昇ってきた。「一陽来復」の生まれたての朝だ。

拝殿の中は、と振り向けば、格子戸の奥に朝日が当たっている。昔は、元日の朝ではなく冬至の朝が初日の出だったことを講演会で知った。

実際に光の道を見て、そのことを納得した。「冬至のご来光」を拝むことですがすがしい気持ちになった。

というか、節目の日の朝日との一体感、つまりは敬虔な思いがそこはかとなくわき上がってくるのだった。

グーグルアースで八坂神社を見ると、正面は真東ではなく、やや南を向いている。わが家のレイラインはその逆で、カウチと座卓付近からは、換気口はやや北に見える。

もうひとつ、これは光の反射なので、レイラインといえるのかどうか。秋になると庭から家の床の間の壁に光が差しこんでくる。

ガラス戸をはさんで南の庭と茶の間が隣り合っている。庭に車を止めているので、その反射光が茶の間に飛び込んできたのだった。

あるとき、カミサンがこれに気づいて、手でキツネの影絵をつくった。子どもが小さかったころ、明かりを消して、ロウソクや懐中電灯の光で影絵遊びをしたものだが、昼間、太陽の反射光でそれができる。

外気とじかにつながっている「昭和の家」だからこそ体感できる夏至のレイライン、そして秋の反射光による影絵遊びだった。

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