2024年7月31日水曜日

続・日常に戻る

                     
 脳卒中と出血のリスクを同時に減らすため、「左心耳閉鎖術」という予防的な手術を受けたのがほぼ2週間前。

7月22日の月曜日昼には5泊6日の手術・入院を経て、わが家での日常のルーチンが復活した。

ルーチンには毎日、あるいは1週間、10日ごとといったように、いろんなものがある。その撚(よ)り合いのなかで日常が営まれる。

日曜日には、夏井川渓谷の隠居へ出かける。1週間ごとのルーチンだ。行かないとやはり落ち着かない。

退院後初の日曜日である7月28日は、生ごみなしで出かけた。いつもは生ごみを運んで菜園の隅に埋めるのだが、「燃やすごみ」として出した。

今回はネギの苗床とうねの様子を見るだけだ。どちらも無事だった。ネギを見たあとは、時間が余ってしかたがない。

すぐマチへ戻り、いわき駅前の総合図書館で「新着図書コーナー」をチェックしたあと、薄磯海岸のカフェ「サーフィン」で昼食をとることにした。こちらは3カ月にいっぺんくらいのルーチンだ。

まずはヤマ(渓谷)から。渓谷の道路はもはや緑一色だ。入院前に咲き乱れていたヤマユリは消え、朱色のヤブカンゾウも花びらを散らしていた。代わりに道端の夏草が「うらめしや~」と車にかぶさってくる。

隠居の庭に立つのは2週間ぶりだ。後輩が庭の草刈りをしてくれたのが6月末。ほぼ1カ月が過ぎたからか、上の庭も、下の庭も不ぞろいの緑で覆われていた。

ハマも暑かった。サーフィンへは昼前に着いた。客はいなかった。いつもは午後1時過ぎなので、カウンターにも、テーブル席にも客がいるのだが、私たち夫婦が一番乗りだったのだろう。

わたしはグリルサンド、カミサンはナポリタン。選ぶのは、ルーチンというよりはワンパターンだ。

サーフィンからは見えないが、防災緑地と防波堤の先に薄磯海水浴場がある。海開きをしたのは入院中の7月20日、土曜日。それから2回目の日曜日だ。

防波堤から見ると、海の家の向こうに、パラソルではなくテントがいっぱい張られている=写真。海水浴客もけっこういるようだ。

そういえば、子どもたちは夏休みのまっただなかだ。駐車場が満パイになったのを初めて見た。

海を見に来たのは、それだけが理由ではない。いわきは北緯37度線上にある。この緯度をそのまま西へ向かうと、ソウル(韓国)、ヨーロッパではアテネ(ギリシャ)、セビリア(スペイン)に出合う。

逆に東側、太平洋の対岸はカリフォルニア(アメリカ)だ。「団結すれば山が動く」と演説したのはハリス副大統領。彼女のふるさとだが、それだけではない。

戦争末期、勿来海岸から打ち上げられた風船爆弾がアメリカの西海岸を目指して飛んで行った。

そうしたあれこれが脳内でからみ合い、撚りあって、ヤマからハマへと意識が反転した。

翌月曜日は早朝、目が覚めるとすぐ、家の前にあるごみ集積所にカラス除けのネットを出した。これが1週間のルーチンの始まりでもある。

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