2025年8月2日土曜日

あとの時間の長いこと

                         
   わが行政区は、集合住宅を戸建て住宅が取り囲むような配置になっている。戸建てと集合が半々くらいで、隣組の数は28、隣組に加入しているのはざっと290世帯だ。

ここの行政嘱託員をしている。定期的に届く市の回覧文書を隣組ごとに振り分け、紙袋(わが家に届いた大型封筒を再利用)に入れて、行政区の役員さんと、自分が担当する隣組の班長さん宅に届ける。

8月1日付の文書は、全戸配布が市からの3種類と地元の1種類の計4種類で、紙袋の厚さは最大3センチに膨らんだ=写真。

これでは集合住宅の1階に設けられている郵便受けのすき間(投入口)には入らない。

班長さんの自室の前まで持っていかないと――となるのだが、2階はともかく、3、4階は、心臓のクスリを飲んでいる人間にはこたえる。

年度末の3月に全戸配布される「健康のしおり」(65ページ)も、「行嘱泣かせ」ではある。

隣組によってはひとつの紙袋では間に合わない。印刷所に勤めている、ある隣組の班長さんから、開くと側面が3センチほどにふくらむ大型封筒の寄贈を受けた。これが役に立った。

で、集合住宅の3、4階は? カミサンが配達を代行してくれた。今度もカミサンの力を借りた。

今年度から回覧文書の配布回数が月3回(1、10、20日)から2回(1、15日)に減った。

行嘱の負担が減るのはいいのだが、年間を通じた配布件数と量はそう変わらない。それどころか、ここにきて年4回、全戸配布の「アリオスペーパー」が加わった。

初回が1カ月前の7月1日付だった。奇数月は、県の広報「ゆめだより」はない。が、偶数月で「アリオスペーパー」の発行が重なる10、4月は、回覧文書がどのくらいの厚さになるか、ちょっと心配だ。

8月1日付ではその心配が現実になった。広報いわき、県の「ゆめだより」、そして今年度後期の公民館市民講座案内(28ページ)。これに地区市民体育祭のプログラムが加わった。

いつもはひとりで配るのだが、最大15世帯の隣組の紙袋は、片手で持つのがやっとというくらいに重い。

 そのうえ、この猛暑続きである。夏場は7時前、今回はそれより2時間も早い早朝5時、新聞配達よろしくカミサンを車に乗せて出発した。

3~4階建ての中層住宅では、郵便受けの開閉ができるところはそこに入れ、それができないところは自室の前に置く。

 結果的に3階2カ所、4階1カ所。これをカミサンに頼んだ。正味40分。5時40分には家に戻った。

 農家では、夏は朝飯前に一仕事をする。日中は野良には出ない。それと同じで、朝食後は茶の間でゴロンとしていた。「昭和の家」ではこれが一番。

7月最後の日。一仕事を終えたという思いからか、それからの一日が長かった。あまりにも長いので、つい慣習や制度の変更(文書配布の回数減)には一長一短がある、なんてことまで考えてしまった。

2025年8月1日金曜日

渓谷から見える風車

                                           
    阿武隈の山々のスカイラインにまた一つ、ニョキッと風車が立った=写真。夏井川渓谷にある隠居の少し手前、磐越東線の江田駅を通過し、江田の次の集落・椚平(くぬぎだいら)に入ったとき、山側にチラッと「輪のないベンツマーク」が見えた。

そのときはそのまま隠居へ向かった。川前の神楽山(808メートル)にできた風力発電施設の風車に違いない。

行きずりのドライバーなら、「ああ、風車が見える」で終わっただろうが、隠居の飲み水の水源にできた風車である。

とうとう立ったか――。まずはそんな感慨がよぎった。それからすぐ、オディロン・ルドンの一つ目の巨人の絵が頭に浮かんだ。

巨人はギリシャ神話に出てくるキュクロプス。手前に横たわるニンフをのぞき込むように、山の向こうからヌーッとキュクロプスが姿をあらわした絵だ。不気味だが、ユーモラスな感じがしないでもない。

輪のないベンツマークはその点、簡素なものだ。が、まさか谷間から風車は見えないだろうと思っていただけに、ニョキッと立っているのを見たときにはショックだった。

拙ブログの過去記事によると、2014(平成26)年11月、経産相と福島県の新知事が会談し、福島県内で発電された再生可能エネルギー買い取りを東電に求めることを明らかにした。東電の送電網を活用して、関東方面に送電する、と県紙が報じていた。

風力発電施設の風車はしかし、阿武隈高地では震災前から立っていた。2010(平成22)年に隠居から「スーパー林道」(広域基幹林道上高部線)を利用して、川内村の天山文庫へ出かけたとき、大滝根山の手前の尾根に風車が林立していた。

磐越道を利用して郡山市へ行ったとき、小野町付近から大滝根山と矢大臣山の間に風車の列が見えた。たぶんそれだろう。

稜線の異変は、そこだけではなかった。川内から大滝根山を越えようと、県道富岡大越線を進んでいたら、すぐ右手の山の上に巨大風車が現れた。高さは約100メートル、3枚の羽も長さが40メートルはあるらしい。

震災後はそれこそ県の産業復興計画「イノベーション・コースト構想」に基づいて、建設計画が目白押しになった。そして今や至る所で輪のないベンツマークが見られる。

スーパー林道は神楽山の中腹を縫って南北に伸びる。隠居から駆け上がると、川前・外門の集落を過ぎたところで、風力発電施設への道を知らせる看板に出合う。そこの風車が回り始めたのだろう。

戦後、大滝根山の頂上に進駐軍のレーダー基地ができた。やがて、自衛隊に施設が移管された。稜線に突起物がある――物心づくころからそれを見てきた私は当たり前に思っていたが、古老はそうではなかった。

まっさらな大滝根山ではなくなった、景観を汚されたと、腹立たしい思いでいたのだった。どうも風車に対しては、レーダー基地への古老と同じ感覚のようだ。