いわき市暮らしの伝承郷の常設展示室で、硫黄島で戦没したいわき関係者の日章旗=写真=と、皇室に献上されたのと同じ「じゃんがら人形」を見た。
「じゃんがら人形」については土曜日(3月14日)、経緯を含めてブログに書いた。日章旗にも「物語」がある。
日章旗については9年前(2017年3月18日付)、初めて見てブログに書いている。そのときの文章から抜粋・引用する。
――太平洋戦争末期の昭和20(1945)年2月19日、米軍が硫黄島に上陸を開始する。それからおよそ1カ月後の3月17日、大本営は同島守備隊の玉砕を発表する。
伝承郷のロビーに展示された日章旗の解説文によれば、戦いが終わったあとに米兵が日章旗を持ち帰り、平成18(2006)3月、硫黄島で行われた日米合同の戦没将兵追悼式でアメリカから返還された。
旗には「縣社飯野八幡神社」「縣社子鍬倉神社」「閼伽井嶽」といった文字が墨書されている。
戦前、平・祢宜町(七丁目)にあった田辺製作所(軍需関連の鉄工所)の従業員らの名前が記されている。
戦地へ赴く人間に職場の同僚または友人が名前や短歌を寄せ書きし、贈ったものと推測されている。
引き取り手のない遺品は靖国神社に奉納される。で、平遺族会が「所持者ゆかりの地のいわきに」とはたらきかけて、アメリカ大使館から日章旗の引き渡しを受けた。
父親が硫黄島で戦死した年長の友人らが尽力したのだろう、遺族会がいわき市教委に寄贈し、伝承郷で保管されている。
3月の硫黄島の戦いを思い起こし、死者を追悼する意味合いを込めた展示でもある。
わが両親のきょうだい(オジ・オバ)は合わせて7人。うち1人は母親の実家の鴨居に飾られた軍帽・軍服姿の遺影で知っているだけだ。母の兄である。
鴨居のオジは硫黄島で戦死した。母は「兄が夢枕に立って言った」ので病死、と信じ込んでいた。
同島の戦いでは、日米双方に2万人を超える戦死傷者が出た。福島県人も854人が亡くなっている。硫黄島の戦没者は、大多数が玉砕を報じられた3月17日が命日である――。
やっと常設展示されたか、という思いがまずわいた。次は日章旗の持ち主を特定して返還すること。そのための常設展示だろう。
若い仲間が、いわき市立図書館が収蔵し、デジタル化した地域新聞などをキーワードで検索できる特化型エンジン「いわき文献案内」をつくった。
学芸員がそれを利用すると、日章旗に記された人物の1人がヒットしたという。私もやってみたら計3人の住所がわかった。いずれも平の町内だった。
田辺製作所に関しては「平市七丁目 田辺機械製作所」、そして「平駅前」(白銀)と「平市五色町」がヒットした。
同一だとすれば、工場は移転を重ねたことになる。これはこれで調べてみる価値がありそうだ。なにはともあれ、明3月17日は硫黄島の玉砕発表の日。
0 件のコメント:
コメントを投稿