「おもしろい」というか、「懐かしい」というか。そして、「何か新しいものは?」という興味が交錯して、すぐ見に行った。
いわき市立草野心平記念文学館で企画展「草野心平と川内村」=写真(チラシ)=が3月14日に始まった。
翌15日の日曜日、夏井川渓谷の隠居で土いじりをしたあと、文学館へ出かけた。たまたま居合わせた学芸員が解説してくれた。
作品展示協力者のなかに旧知の人がいた。村の元教育長氏(村職員時代、『川内村史』の担当者だった)で、天山文庫設立60周年を記念した企画展である。
「川内村史」は発足して間もないいわき地域学會が編纂事業を引き受けた。昼間は自分の仕事があるアフターファイブの研究者の集団だ。休日になると、たびたび村へ出かけ、役場の担当者の案内で調査を繰り返した。
私もその一人として、江戸時代の俳人佐久間喜鳥を軸にした俳諧ネットワークと、川内村と草野心平のつながりを調べた。
通史では「幕末の川内の文芸」(近世第5章)と、「川内と草野心平」(現代第3章)を担当した。
それもあって、拙ブログに心平と川内村のつながりを書いている。主な部分を要約・引用する。
――心平と川内村を結びつけたのは、一つにはモリアオガエル、二つにはモリアオガエルのことを昭和24年2月1日付の読売新聞福島県版に書いた心平のエッセーに反応して、村の禅寺(長福寺)の坊さんが心平に誘いの手紙を書いたからだ。
昭和28年、心平は初めて川内村を訪れる。以来、川内詣でを繰り返し、モリアオガエルの繁殖地「平伏沼(へぶすぬま)」で歌を詠んだり、村内の小学校の校歌をつくったりする。
で、村議会は心平を名誉村民に推戴することを決めた。褒章は年100俵の木炭。心平は木炭のお返しに蔵書3000冊の寄贈を決め、うち2000冊を、木炭を運搬して来たトラックに載せて村へ届けた。
困ったのは坊さんだ。一時、寄贈本を寺で預かっていたが、いつまでもそうしているわけにはいかない。
村役場にかけあった結果、仮称「心平文庫」の設立が議会で決まった。今の「天山文庫」はそうしてできたのである――。
企画展はこの通史を反映していた。展示物は軸装・額装された心平の書と絵、詩碑拓本、はがき類(長福寺所蔵)を中心に、村教委所蔵の書(校歌)と写真などで、村史調査の折、実見したものが多かった。
心平の没後1年を記念して、川内村では平成元年、天山文庫の下の阿武隈民芸館(現在は天山文庫を含めて「草野心平記念館」)で、「草野心平とかわうち」展が開かれた。
その図録をながめてから出かけた。書と絵が重なるのは仕方がない。それがかえって懐かしさを呼んだ。
たまたま同文学館ボランティアの会事業として、常設の「居酒屋」の前で心平随筆の朗読会が行われた。それも聴いた。
お土産の「するめそーめん」は晩酌のつまみにした。珍味である。心平流にいえば「口福」。これを2日続けて楽しんだ。
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