2025年5月12日月曜日

月桂樹の花

夏井川渓谷の隠居の庭に、渓谷の植生とは無関係の園芸木が1本立っている。月桂樹だ。前はカミサンの実家の庭にあった。

移植した根っこから生えた「ひこばえ」が伸び、いつの間にか隠居の物置の屋根を超えた。

5月11日に土いじりを終え、地面を見ながら庭を一巡すると、たまたま見上げた屋根の上でホオノキの花が風にあおられていた。

ほかの木はどうか、と見れば、月桂樹になにかふわふわしたものがいっぱい付いている。白っぽい花がほんのり薄くピンク色に染まっていた=写真。

月桂樹の花を初めて見た。花そのものはとても小さい。あとで調べてわかったのだが、月桂樹の花は淡い黄色が一般的だという。

ならば、月桂樹ではない? ネットで調べ続けると、あった。月桂樹は雌雄異株で、雄花と雌花がある。黄色い雌花がやがてピンク色に変わることがある。そのピンクだろう。ピンクの雌花は珍しいそうだ。

15年前、月桂樹が「再生」した顛末をブログに書いた(2010年3月10日付)。それを現在形にして引用・抜粋する。

――カミサンの実家の庭に月桂樹が植えてあった。ざっと60年前、味噌蔵と物置の北側に種をまいたら発芽したという。

最初は日陰の身だったが、味噌蔵を移動すると光が差してぐんぐん生長した。幹の直径が根元で50センチほどにまでなった。

2007年に倉庫を建て替えた。そのとき、月桂樹が切り倒された。カミサンの頼みで根っこが掘り起こされた。

根っこは臼(うす)になるくらいに大きい。それを車で運んで夏井川渓谷の隠居に移植した。

枯れるかもしれない。が、月桂樹の生命力にかけたい。なにしろフランスにいる友達との思い出が詰まった木だ。

隠居では、日当たりのいい物置の前に穴を掘り、二人がかりで根っこを据え、土をかぶせて放置した。

すると翌年、根元から「ひこばえ」が伸び、若葉が芽吹いてきた。ひこばえは次々に現れて切り株を取り囲むようになった。

このままでは生長のエネルギーが分散される。育ちのいい枝2本を残してあとは切り取った。

月桂樹はクスノキ科の常緑樹だ。葉をいっぱいまとうようになった。葉をもむといい香りがする。

葉を乾燥させたものは、フランス語で「ローリエ」、英語で「ローレル」。香辛料=料理用ハーブとして広く用いられているという。強い生命力でよみがえりつつある「食材」の生長が楽しみになった――。

 移植し、根付き、やがて一本立ちにしたのが、今では幹の直径10センチ余の若木になった。

  ひこばえは切っても切っても現れる。それを切り続けていれば、やがては立派な2代目の月桂樹になるはずだ。花が咲けば実がなる? 新たな興味もわいてきた。 

2025年5月10日土曜日

朝ドラ「あんぱん」

           
 朝ドラの「あんぱん」を見ているうちに気が付いた。そうか、これは『アンパンマン』の生みの親、やなせたかしと妻をモデルにしたドラマなんだ――。

 東日本大震災の前、常磐にある野口雨情記念湯本温泉童謡館で月に1回、童謡詩人についておしゃべりをした。

童謡館がオープンするとほどなく、初代館長の故里見庫男さんから「文学教室」の依頼を受けた。まずは金子みすゞを、あとは自由――というのが唯一の注文だった。

みすゞについては断片的な知識しかなかった。いろいろ調べているうちに、水戸で生まれ、平で育った島田忠夫が金子みすゞと双璧をなす新進童謡詩人であることを知った。みすゞと一緒に忠夫も取り上げた。

「全国区」の童謡詩人であっても、どこかでいわきの人間とかかわっていないか、いわきとゆかりのある人間とつながっていないか――そういった観点から調べていくと、闇に光がともることがある。忠夫はそんな存在だった。

その後、みすゞの師匠の西條八十、八十の弟子のサトウハチロー、あるいは工藤直子、竹久夢二、そして雨情、山村暮鳥ゆかりの人々を調べて、都合17回、彼らの人と作品を紹介した。まど・みちお、やなせたかしも調べて話した。

やなせは2009年に『たそがれ詩集』を出したばかりだった。そのなかの「晩年」に引かれた。

朱子の「偶成」(少年老い易く学成り難し……)の最初の行をもじっていた。「老年ボケやすく/学ほとんど成らず/トンチンカンな人生/終幕の未来も/なんだかヤバイ/それでも笑って/ま、いいとするか」。これも紹介した。

記憶に新しいところでは、東日本大震災がおきた直後の日曜日(3月13日)、ラジオ福島が午前10時の時報のあと、「アンパンマンのマーチ」を流した。

この選曲に、娯楽を突然奪われた子どもの親たちから多くの感謝の言葉が寄せられた(『ラジオ福島の300日』=2012年毎日新聞社刊)。アンパンマンは希望の象徴になった。

 さらにもう一つ。2013年夏、草野心平記念文学館で「みんなだいすきアンパンマン やなせたかしの世界展」が開かれた。草野心平生誕110周年・同館開館15周年記念の冠がついていた。

詩人としてのやなせの代表作は「手のひらを太陽に」だろう。童謡館でやなせを取り上げていたこともあって、この企画展には違和感はなかった。来館者は開館記念展以来の「大入り」とかで、 軽く2万人を超えた。

朝ドラに刺激されて、図書館からやなせたかしの本を借りようと思ったら、主なものはすべて「貸出中」になっていた。出納書庫にあるものを中心に4冊を借りた=写真。

自伝に近い本を読みつつ、朝は「あんぱん」を見てやなせワールドに浸っている。

あんぱんづくりの名人「ヤムさん」(阿部サダヲ)は、アンパンマンの「ジャムおじさん」そっくりではないか。召集令状がきた若者に「勇ましく戦おうなんて思うなよ」と説く姿に共鳴した。

2025年5月9日金曜日

今度は白い猫が

                                 
   わが家の庭に白い猫=写真=が現れてから、まだ日が浅い。家の人間を警戒してか、距離を保ちながら庭にとどまっている、と思ったら……。

3年ほど前、不妊・去勢手術を受けて耳にV字の切れ込みのある「さくら猫」(キジトラ)が庭に現れた。カミサンがえさをやると次第に慣れて、縁側で休むようになった。

カミサンが段ボール箱を、そのあと「えじこ」(人間の乳幼児を座らせておくわら製の保育用具)をベッドにすると、そこで一夜を明かすようになった。やがて「ゴン」という名がついた。

 去年(2024年)春、ゴンのほかに黒白の「ハナクロ」が現れた。ゴンはすっかり私に慣れたが、ハナクロはいまだに私の姿を見ると、動きを止めて逃げる姿勢をとる。

それから1年、この3月には、「えじこ」にどこかの茶トラが入っていた。そのあとに現れた白猫だ。これも片耳にV字の切れ込みがある。狙いはゴンのえさだろう。

この白猫はどことなく「気品」がある。全身が真っ白で、あごのあたりは特に毛が長い。モフモフしている。系統的にはペルシャだろうか。

たまたま読んでいた本に猫のルーツに関する記述があった。山田政弘『絶望の生態学――軟弱なサルはいかにして最悪の「死神」になったか』(講談社、2023年)から抜粋する。

私たちに身近な猫は外来生物だという。猫は約1万年前、中東でヒトに飼いならされるようになり、その後、ヒトとともに世界中に広まった。

ツシマヤマネコなどは在来種だが、もともと猫は日本列島には生息していなかった。書物には8~9世紀ごろから登場する。遅くともこのころには猫が持ち込まれていたことがわかる。

 中東にルーツを持つから「気品」があるわけではない。おそらく気品をかもす猫が選抜されて、貴族のペットとして珍重されるようになった。そんな歴史と現実の白猫が結びついて、私の中でペルシャかもしれない、となったようだ。

 キジトラ、白黒、茶トラよりは体も大きい。その大きさに圧倒されるのか、ゴンは白猫が現れると隅っこで小さくなっている。

 カミサンは、ゴンとは別に、庭の一角にえさを用意した。えさは小皿に入っている。茶の間からは草に隠れて見えない。

ある朝、ガラス戸越しに見ると、白猫が盛んに草を食べている(ように感じられた)。

猫も草を食べるのか。そうだとしたら大発見だ。あとで庭を見ると、草ではなくキャットフードだった。

どうやらこの白猫はどこかの飼い猫らしい。早朝、私が起きて庭に出ると、放置された犬小屋に座り込んでえさを待っていた。えじこを占領していたときもある。しかも、えさ食べるとすぐ姿を消す。

かわいげがないというか、ほかの猫を、ヒトを何とも思わないような雰囲気がある。猫もそれぞれ性格が異なるらしい。

2025年5月8日木曜日

孤独な田植え

                                 
 日曜日ごとの「定線(点)観測」だから変化がわかるのかもしれない。4月下旬~5月初旬の大型連休をはさんで、いわき地方の田園風景がガラリと変わった。

 4月27日の日曜日。夏井川渓谷の隠居へ行く道すがら、水の張られた田んぼは増えたが、田植えのすんだところはまだのようだった。

 5月4日の日曜日。すでにあちこちで田植えがすみ、稲の苗が風にそよいでいた。何カ所かで田植え機が田んぼを往復していた。それを見て、思わず声を発した。「孤独な田植え」

子どものころに親類の家の田植えの手伝いをした。家族はもちろん、親類が総出で田んぼに繰り出し、稲の苗を植えた。あぜ道で昼食をとった。

それに比べたら……。田植え機が動いているほかは、手伝いの人の姿はない。周りの田んぼにも人影はない。

 街から行くと、小川町の片石田地内で平地が尽きる。その先には河岸段丘の高崎を経て山地の渓谷が待っている。

 小学6年生になって間もない6月。日帰りで小名浜港への修学旅行が行われた。阿武隈の山里から汽車を利用して夏井川渓谷を下ると急に平野が広がり、人がいっぱい出て田植えをしていた。60年以上前の片石田の田植えの記憶だ。

昔は梅雨どきが田植えのピークだった。それからすると、今は、1カ月は早い。しかも、「孤独な田植え」だ。

トラクターが耕起し、水の張られた田んぼで代かきをし、大型連休になると田植え機が行ったり来たりする。

わが生活圏の神谷耕土も、大型連休が終わるころに、多くが稲田に変わる。それが、今年(2025年)は様子が違っていた。

4月27日に通ると、田植えどころか、田んぼの表土がはぎとられて脇に積まれてあった=写真。こんな光景は見たことがない。よく耳にする圃場(ほじょう)整備というやつか。これでは今年の田植えは無理だろう。

5日早朝、表土がかき集められた田んぼの写真を撮っていると、散歩のおばさんから声がかかった。「山を撮ってるの?」「いや、田んぼです」。それから孤独な田植えの話になり、米不足の話になった。

カミサンの実家は、今となっては「元米屋」と書くしかない。店を守っていた義弟が腰を痛めて、米袋を担げなくなった。それで米の販売と配達をやめた。

支店に住むカミサンと私も、米の販売と配達がなくなった。今も若い人が「米はありませんか」とやって来る。何十年か前の不作のとき以来の現象だ。

政府は備蓄米を放出したというが、どこまで小売りに反映されているのか、値段はなぜ下がらないのか、元米屋のアッシー君は孤独な田植えを思い返しながら、ヒトゴトではいられない。

2025年5月7日水曜日

道端のツツジの花

                                 
 全体が花で覆われている。しかし、1週間後には葉が出て赤と緑の「まだら」になっているのではないか――。

そのとおりになった。夏井川渓谷の隠居へ行く途中で見た植栽のツツジ(サツキかもしれない)のことである。

ゴールデンウイークが始まる直前の4月27日。ツツジの花の美しさに見ほれて、隠居からの帰り、車を止めてカメラのシャッターを押した=写真。以下はそのときの様子。

平のわが家から渓谷の隠居までは車でざっと30分。田んぼ道から国道399号へ出ると上平窪の台地になり、坂を下るとすぐ小川町下小川に入る。

左手に小川小下小川分校の跡地が見えてくる直前、道端のツツジの花の列が目に飛び込んできた。

口の広い背負(しょ)いカゴがふせられ、すべて赤い花で飾られている――そんな第一印象だった。

 街で見慣れた民家のツツジは出合うタイミングが悪いのか、花の間に緑の葉が散らばっていて、赤やピンクの色と緑色の「しみ」でまだら模様になっている。ところが、ここのツツジは、チラッと見た限りでは緑のしみが一つもない。

 ここまで赤一色なのは、手入れが行き届いているからにちがいない。園芸には興味のない人間にも、花を咲かせる人間の思いが想像できた。

 翌年またちゃんと咲かせるには、しおれた花を根元から摘んでおくこと。だれかにそう教えられて、庭のツツジの手入れをしたことがある。しおれ花の数の多さに、一度やって音を上げた。

 それともう一つ。作家の角田光代さんがつづった短文を思い出した。月刊の「文藝春秋」に彼女が文を書き、カメラマンの平間至さんが写真を担当した大手不動産会社のコマーシャルだ。「ささやかさ」というタイトルがついていた。

日常のなにげない風景を支えているのは、実はだれかの無償の行為である、そんな趣旨の、詩のような短文だ。

「差し出されたお茶とか、/てのひらとか。/毎朝用意されていたお弁当とか、うつくしい切手の貼られた葉書とか。/それから、歩道に咲くちいさな赤い/花とか、あなたの笑顔とか。」が前半。

後半は「私たちは日々、だれかから、/感謝の言葉も見返りも期待されない/何かを受け取って過ごしている。/あまりにもあたりまえすぎて、/そこにあることに、ときに/気づきもしないということの、/贅沢を思う。幸福を思う。」と続く。

緑のしみが一つもない見事なツツジの花の列に、「歩道に咲くちいさな赤い花」が重なり、「感謝の言葉も見返りも期待」しない人間の無償の行為が浮かび上がってきた。

2025年5月2日金曜日

春のお福分け

                                 
 知り合いから野菜や山菜が届く。基本は互恵。スーパーでの買い物とは別に、お福分け=非金銭経済の循環が暮らしを彩る。

 春の山菜、夏のキュウリ、秋のハヤトウリ、冬の白菜、ネギ……。1回の量としては1~2玉、あるいは数本であっても、年間を通せばけっこう家計の足しになっているのではないか。

春はなんといっても山菜だ。夏井川渓谷にある隠居の庭だけでもヨモギが生え、フキノトウが現れる。今年(2025年)は2年ぶりにアミガサタケ(キノコ)が発生した。

「原発震災」後、庭は全面除染の対象になり、土を入れ替えた。放射線量は問題のない範囲に収まったので、ネギの栽培を続け、フキノトウなども採っている。

毎年のことながら、春になると行政のホームページをチェックする。今年もゼンマイやワラビ(野生)、コシアブラ、タケノコ、タラの芽(野生)、原木ナメコ(露地)は、出荷(販売)が制限されたままだ。

野生のキノコは出荷だけでなく、摂取も制限されている。隠居の庭に出るアミガサタケや梅雨どきのマメダンゴ(ツチグリ幼菌)、秋のアカモミタケ、ヒラタケ以外は、やはり口にするのがはばかられる。

栽培ワラビやフキ、ウドは出荷制限が解除されてからだいぶたつ。コゴミ(クサソテツ)やシドケ(モミジガサ)も出荷制限には入っていない。

出荷制限のかかった山菜は、出荷以外は自己責任で――となるわけだが、老い先短い人間には少量でも貴重な「口福」になる。

カミサンが料理に知恵を絞る。まずはてんぷらになり、翌日には煮物になって食卓を飾った。別の日にはタケノコと天然ワカメとアミガサタケの煮物が出てきた=写真。

天然ワカメもいただきものだ。養殖ワカメと違って、ゆがいても中身がしっかりしているという。食べるとその通りで、歯ごたえがあった。

アミガサタケは私が採った。最初はバター炒めになって、単品で出てきた。味噌汁に入れたらどうだろう。私のアイデアにカミサンが乗ったが、これは失敗した。味もそっけもない。

アミガサタケはやはりバター炒めか。あきらめていたところへ、天然ワカメとタケノコを煮物にするというので、それに追加してもらった。こちらは成功した。

 タケノコも、天然ワカメも、アミガサタケもそれぞれの持ち味が失われることなく調和していた。アミガサタケは煮物にもいいことがわかった。

ついでながら、お福分けのタケノコはゆでて調理するばかりの状態が主婦にとっては最高という。皮をむく手間が省けるからだ。

私も食欲を刺激されて、ゆであがった先端部分をカットして糠床に入れてみた。酒のつまみになった。ご飯のおかずにもよさそうだ。次は根元の方を漬けてみるか。

2025年5月1日木曜日

ペットボトルで栽培

                                
   プランターに利用するのは、正方形だと幅10センチ前後のペットボトル(2リットル以下)だ。筒状の上部は切り取っておく。

底が見えなくなる程度に鉢底石を敷き、培養土を加える=写真。この際、トントンと土を詰めるようなことはしない。

タネは2~3種類の在来作物(昔野菜)で、フワッとした状態の土の表面に置き、その上に細かくした落ち葉のふとんをかけて、霧吹きで3回ほど水を吹きかける。

森のなかの木の実が林床に落下し、やがて落ち葉の間からタネが発芽する様子をイメージするとわかりやすい。ペットボトルは「小さな地球」だ。

 これは今年(2025年)2月、いわき市の中央台公民館で開かれた第12回いわき昔野菜フェスティバル(同野菜保存会主催)のイベントの一つ、「ペットボトルプランターで昔野菜を育ててみよう!」(ワークショップ)の一こまだ。

講師は一般社団法人シーズオブライフのディレクター坂田奈菜子さんが務めた。

当初は、同法人代表理事で社会起業家のジョン・ムーアさん(高知県)が講師の予定だったが、インフルエンザにかかり、急きょ、坂田さんに代わった。

そのときのワークショップの様子を伝える拙ブログを一部、要約・再掲する。

――世界の66%の耕作地はわずか9種類のために使われている、世界の耕作地の20%は農薬や土壌汚染、温室効果ガスなどで農業に適さなくなっている……。

 座学で日本と世界の農業の現状に触れたあと、地球の環境と多様性を学ぶには自分でタネをまくことが一番、というわけでプランターづくりが行われた。

つくったプランターは家に持ち帰り、植物の身になって置く場所を決めること。講師のアドバイスが耳に残った――。

 私は会場の隅っこから見聞するだけだったが、ワークショップに参加した保存会の会員によると、「タネが発芽した」「しなかった」と結果は分かれたようだ。

 同じ野菜から採れたタネでも優劣があり、同じ方法で管理しても違いが出る。一つひとつ異なる結果が出るところが土の面白いところだ。

 ジョンさんは、地球を次世代へ継承するには自然資源を回復させる行動を意識して選択する必要がある、と考えている。

 そのジョンさんが彼岸に旅立ったという。先日、いわき昔野菜保存会のフェイスブックに、シーズオブライフからの訃報が転載された。

 ジョンさんは9年前、同フェスティバルに講師として加わった。保存会では次年度のフェスティバルでもペットボトルプランターづくりのワークショップを計画していた。あまりにも突然の訃報に言葉もない。合掌。