2016年7月31日日曜日

7月が終わる

 イギリスの詩人T・S・エリオットの「4月は残酷な月だ」にならっていえば、わが家の「7月は散々な月」だった。
 ある日(みんな「ある日」だが)――。メガネのつるが壊れた(フレームを交換)。風呂場の電球が切れた(買い置きの電球と交換)。魔法瓶が壊れた(ヤカンで代用)。ファクスが機能しなくなった(eメールでやりとり)。テレビの画面がおかしくなった(いよいよ症状が悪化、買い替えるしかなさそうだ)。

 平屋を2階建てにしたのはおよそ35年前。台所の床も風呂場の前の床もミシミシいうようになった。5年前の震災で家が「大規模半壊」に近い「半壊」の判定を受けて、窓や戸の開閉がきつくなった。それが裏目に出た。

 店(米屋)の一角にカミサンが運営する地域図書館「かべや文庫」がある。おばさんたちの茶飲み場でもある。フェアトレード商品も展示・販売している。ある日の早朝、カミサンが見ると文庫の様子がおかしい。東側の出窓の外に、中に置いてあった茶わん入りのかごなどが置いてある=写真。フェアトレード商品の売上金もなくなっている。どう考えても「ドロボウに入られた」としか思えないという。

 若いときに「サツ回り」をした。そのときの取材経験からいろいろ推測する。が、やって来た“ドロ刑”(ドロボウ刑事)さんの見立てはさすがだ。犯人はカギのかかっていなかった出窓から侵入し、カネだけ5~6万円を取ってまた出窓から逃げた。日曜日の昼間、「空き巣」に入ったというよりは、夜更けもしくは未明、寝静まってから忍び込んだようだ。
 
 米も、レジも無事。荒らされたのは文庫だけ。レジは寝室のわきにある。いつも電気スタンドをつけっぱなしにして寝てしまうので、真夜中でもうっすらレジの方に明かりがもれている。レジへ近づく度胸はなかったらしい。
 
 東京・目黒の公園で切断された高齢女性の遺体が見つかった事件は、その後の調べで、盗み目的でマンションに侵入した男が気づかれたために、居直り殺人をしたことがわかっている。そんな事態にならなかっただけでもよしとするしかない。「あつものに懲りてなますを吹く」というよりは「後の祭り」だが、ドロボウの一件以来、車も戸も窓もカギを締めるようになった。
 
 そういえば、6月には隣のコインランドリーで下着ドロに及んだ男が捕まっている。世間は煩悩の苦海。私たちは善とも悪とも隣り合わせで生きている。

2016年7月30日土曜日

回覧物振り分け

 行政嘱託員(兼区長)をしているので10日にいっぺん、いわき市から広報資料が届く。各戸配布か隣組回覧かで枚数は異なる。隣組に入っているのはおよそ335世帯。平均すると1隣組あたり10世帯で33班ある。班ごとに配る資料を振り分けないといけない。 
 そうして茶の間が月に3回、折り込みチラシを振り分ける新聞販売店のようになる(10代の終わり、東京の新聞販売店に一時、住み込んだ)。

 暑いときには戸も窓も開け放つ、低気密・低断熱の「昭和の家」だ。カミサンが回覧資料を振り分ける、終わって私が紙袋に詰める、という流れなのだが、袋詰めをさぼっているうちに風が通り抜けて資料が吹き飛ばされることがある。前回がそうだった。あわててそこらへんにあるモノ(爪切り・皿・カッターナイフ・蚊取り線香の台など)で資料を押さえる仕儀になる=写真。
 
 きのう(7月29日)、いわき市を含む南東北の梅雨が明けた。平年(7月25日)より4日遅い。朝から急激に気温が上がった。昼前の室温が32度。とてもじゃないが、「在宅ワーク」をするどころではない。

 といいながらも、扇風機をかけて調べ物をしながら、合間に近所の診療所へ薬をもらいに行ったり、午後には地元の道路整備促進期成同盟会の総会に出席したりした。戻ると、8月1日付回覧資料の袋詰めが待っている。振り分けも袋詰めもひとりで、となると、たぶん「孤独」を感じてため息ばかりついている。カミサンが手伝ってくれるから、なんとかここまでやってきた。
 
 政治の原点はと、つくづく考える。夫婦間の意見の違いや利害を調整して、家庭内の平穏を維持することではないか。たとえば、カミサンが出かけるときに運転手を務める。イヤだとは言わない。行政資料が届くとカミサンが見かねて振り分けを手伝ってくれる。協働、分担、我慢、低姿勢といった言葉が頭のなかで点滅する。

「政治をするサル」という本がある。知り合いに多摩動物公園のチンパンジー飼育係氏がいたので、興味を持って読んだ。その延長で、生活のなかで「政治をするヒト」の姿を観察してきた。今、私もそれを意識して暮らしている。

 すでに8月1日付の資料は振り分けがすんだ。2日から7日までは旅行で家を留守にする。で、きょう、日中は自分の用事に集中し(暑くなりそうだ)、夕方、一段落ついてから資料を区の役員さんに届ける。せいせいして旅行に出かけたいから。

2016年7月29日金曜日

ネットの効用

 四倉の知人から電話が入った。「ブログにあった『アレッポのせっけん』がほしい」という。昔書いていた新聞コラムの延長で、「ネットコラム」と称して毎日、ブログを書いている。先日、「アレッポのせっけん」を取り上げた。ブログを読んでもらえるだけでもありがたいのに、その記事が、カミサンが店(米屋)で扱っている品物の売り上げにつながった。初めてのことだ。
 それから何日か後、「アレッポのせっけん」を買いに来た人がいる。やはり、私のブログを読んで、ということだった。さらに数日後、フェイスブックの友達でもある人生の先輩(女性)が店に来て、ついでに「アレッポのせっけん」を買っていった。

 せっけんばかりではなかった。同じころ、内郷の住宅街にある喫茶店「純」のママさんから電話が入った。「記事を読んでコーヒーを飲みに来た若い女性がいる。なにか書いてくれたのかな」。ママさんはネットとは無縁の人間だ。書いたことを告げると、お礼を言われた。

「純」は福島高専がまだ平高専だったころ、平駅(現いわき駅)前の三田小路にあった。そこに、私も含めて同級生が入りびたっていた。先代の三遊亭円楽そっくりだった、今は亡きマスターに仲間がいろいろ世話になった。

 去年(2015年)5月、その仲間が集まって湯本の温泉旅館で懇親会を開いた。翌朝、内郷へ移動して、「純」でモーニングコーヒーを飲んだ=写真。そのときの様子をブログに書いた。それが、若い女性の目に留まり、コーヒーを飲みに来たのだという。どうやら同じ内郷に職場の拠点があるらしい。

 ブログやツイッター、フェイスブックといったインターネットの特性は――とあらためて思うのだが、過去も現在もなく遠いも近いもない、すべての情報が「今、そこにある」ものとして並列化される。

 功罪はあるが、「功」をきのう(7月28日)実感した。コサメビタキらしい鳥のさえずりを聞き、写真に撮った。が、特徴が合致しない。わかったら教えて――そんな問いかけをしたら、夕方、野鳥の会のいわき支部長氏からブログにコメントが入った。電話もかかってきた。フェイスブックには若い知人が野鳥の「さえずり集」をアップしてくれた。

 支部長氏のコメントと「さえずり集」から、あの鳥はコサメビタキではなくオオルリの雌とわかった。その日の夜更け、せがれからも「オオルリの雌では」という電話が入った。
 
 特にさえずりで合点がいった。ネットの情報は玉石混交だが、つながり次第で「専門知」と「ヒント」の恩恵にあずかれる。これこそがネットの効用だろう。

2016年7月28日木曜日

コサメビタキ?

 この10日間、時間があればちょこちょこ検索して裏を取ろうとしてきたものがある。鳥だ。結論からいうと、よくわからない。で、「だろう」ということで書く。
 小・中学校が夏休みに入る前の3連休のど真ん中、日曜日(7月17日)。夏井川渓谷の隠居の庭の木に止まって、「チーチーチュエ、ビビビ」を繰り返す鳥がいた。音源を探ると、葉に覆われたカエデの内側の枝に止まってさえずっていた。

 40年近いバードウオッチング歴のなかでも初めて見る鳥だ。枝を移動しながらさえずり、合間に羽を打ち鳴らす。さえずりの「ビビビ」はその羽ばたきのようにも感じられた。

 クリッとした目、スズメより小さい体、地味な色合い。図鑑をながめて覚えていた夏鳥のコサメビタキにちがいない。パソコンに画像を取り込み、拡大してチェックすると、全体の印象はコサメビタキだが、細部で特徴と合わない。下くちばしの基部がオレンジ色ではない、目の周りの白い環(アイリング)が薄い、目先も白くない。ネット情報を集めても、コサメビタキという結論は得られなかった。
 
 なかでも困ったのは、さえずりが図鑑の表記にある「早口」と違うことだ。ゆったりしている。個体差はあるにしても、早口が「遅口」になることはないだろう。そのうえ、「さえずりながらはばたく」とは、手元の図鑑にもネットの図鑑にも書いてない。きわめて特異な動作なのに……。
 
 というわけで、直感でコサメビタキと思ったものの、迷路に踏み込んでしまった。どなたかお願い、教えて――。

2016年7月27日水曜日

野球小僧クン

 高校野球福島大会は、聖光学院の10年連続優勝で幕を閉じた。夕方のテレビニュースで結果を知るだけの身でも、いわき勢の勝ち負けにはやはり一喜一憂をした。
 唯一、知っている野球小僧クンがいる。いわきの中学校から聖光学院に入った。今年は2年生ながらレギュラーの座をつかんだ。決勝戦の結果を伝える月曜日(7月25日)の新聞=写真=を読んでびっくりした。野球小僧クンが、守ってはファイインプレ―でチームの危機を救い、打ってはホームランを含む4打数4安打とチームをけん引した。神がかり的な大活躍に感動して、野球小僧クンの祖母に祝いのメッセージを送った。

 野球小僧クンが小学生のころまでは、ときどき、彼の祖父母の家で、ほかの家族とともに飲み会をした。そんなある日の夕方、小学3年か4年の彼と庭でキャッチボールをした。父親の指導ですでに野球大好き少年になっていた。球が速くて重いのに驚いた記憶がある。その後も父親と、応援の祖父母も含めて、野球一筋の日々を送ったのだろう。

 震災もあって飲み会はいつか中断され、彼も中学生から高校生になって家を離れた。いよいよ野球に熱中する生活に入った(祖母はおかげで、世話をする孫がいなくなって、一時、「孫ロス」におちいった)。

 同じ高校の野球部に首都圏の彼のいとこが入部した。祖母から見ると、もうひとりの孫だ。その孫も2年生でレギュラー入りを果たした。決勝戦では打順が6、7番と続き、いとこも3打数3安打と大当たりした。

 親にとってもそうだが、祖父母にとっても孫たちの甲子園出場は無上の喜びとなったことだろう。いささかでも祖父母の苦労を知る者として、まずは祖父母に乾杯、という気持ちになるのだった。

2016年7月26日火曜日

「小名浜ベイブリッジ」

 だいぶ前、小名浜港の人工島と陸地が橋でつながった。日曜日(7月24日)午後、新風景「小名浜ベイブリッジ」を写真に撮ろうと、山里(田人町)からの帰りに立ち寄った。
 震災前の2009年春、いわき市主催で「景観セミナー」が開かれた。景観面からみた人工島の橋の検討経過と方向性が紹介された。そのときと、2年前に橋げたがのび始めたころの拙ブログから。
 
 ――人工島は「東港地区多目的国際ターミナル」整備事業として建設が進められている。外貿貨物(石炭など)需要の増大と船舶の大型化に対応して取り扱い能力を向上させるのが目的だ。海面からの橋の高さは、陸地からの最大勾配5%(100メートル行って5メートル上がる)として25メートルが限界。巡視船は橋の下を通航できるが、大型客船「飛鳥Ⅱ」は通航できない、ということだった。

 この一大プロジェクトの動脈が、橋を含む延長1805メートルの臨港道路。橋の構造は、コストや小名浜港の新たなランドマークとしての眺望を計算に入れた結果、主塔と斜材で主桁を支える外ケーブル構造の「エクストラドーズド橋」になった。「横浜ベイブリッジ」のような吊り橋ではない。が、斜張橋に似て主塔から張り出された斜材が線による三角形、低い山形をつくりだす。それがより立体感を出している。
 
 橋自体が新しい風景になり、新しい視点場を提供する。ライトアップされればそれも格好の被写体になる。アクアマリンパークの北側にはイオンモールができる。小名浜のウオーターフロントは驚くほどに様変わりする――。

 海上に架かる新風景を写真に撮るのは初めてだった。人がたくさん行き来するアクアマリンパークからファインダーをのぞくと……。行楽客というよりはスマホを見ている若者や子どもたちばかりではないか=写真。いっとき、立ち止まって観察していると、小学生が近づいてきた。「ポケモンGO?」「そうです」。父親が少し離れたところから見守っていた。

 夏休み最初の週末、日本列島がいきなり「ポケモンGO」一色になった。どこか遠い大都会だけでなく、いわきの街にも港にも、地域の片隅にもポケモンが現れた。あとで寄った豊間の塩屋埼灯台下にも、スマホ片手の子どもたちがいた(立ち入り禁止になっている防災緑地造成現場には、さすがに人はいなかったが)。小名浜ベイブリッジは「恋人の聖地」、アクアマリンパークは「ポケモンの聖地」?

2016年7月25日月曜日

「ZINARI」展

 きのう(7月24日)は、北部の四倉・久之浜を除いていわき市内を一巡した。南部の鮫川流域へ出かけると、だいたいそうなる。いわきの面積は小豆島を除いた香川県とほぼ同じ。一つの行政圏に三つ、いや久之浜を加えると四つの流域(生活圏)がある。リタイア組はほとんど自分の生活圏で用をすませているから、別の流域へ出かけると「旅」をした気分になる。
 早朝7時から1時間、夏井川渓谷の隠居で土いじりをした。一休みしてから草野心平記念文学館へ。事業懇談会に出たあと、「ZINARI」展(7月31日まで)を見に、常磐道を利用して鮫川支流・四時川沿いの田人・ギャラリー「昨明(かる)」へ出かけた。帰りは海に一番近い道路を選んで、岩間~新舞子海岸の堤防の先に海を感じながら(見ながら、ではない)、いつもの魚屋へ直行した。

 きょうは「ZINARI」展について――。旧知の吉田重信さん(いわき)のほか、市外の3人が出品している。“震災アート”だ。吉田さんは新舞子海岸の流木を素材にした「聖」と題する作品を発表した。
 
 倉谷拓朴さん(横浜)は、原発事故で被曝した土地の植物を、印画紙上に置いて感光させた日光写真(フォトグラム)を展示した=写真。K・Koughさん(大阪)は鉛の手袋とマスクを、中村通孝さん(埼玉)は真ん中が透明な座卓の底にお菓子のようなフレコンバッグを積み上げた作品や、富岡町から採取した植物の葉を収めた“アルバム”などを並べた。
 
 これらの作品と向き合いながら、簡単に「脱原発」あるいは「反原発」へ行かないように、と自分に言い聞かせた。結論はそうだとしても、見る側としては作品と交感したい、作品として楽しみたい、そうやって考えを深めたいと思うからだった。
 
 倉谷さんのフォトグラムには既視感があった。原発事故後、NHKETV特集取材班が初めて放射能汚染の実態を明らかにした。取材班が著した『ホットスポット――ネットワークでつくる放射能汚染地図』(2012年、講談社)の口絵に、「イメージングプレートで視覚化された松の葉」の写真が載る。それを思い出した。
 
 倉谷さんの作品は、植物の姿が鮮やかなブルーで定着されている。イメージングプレートの方は、放射線が強いと黄色、さらに強いと赤色で表現される。1Fから4.4キロの双葉町山田地内の松の葉は全体が赤、そのうえ周囲が黄色、22キロ離れた田村市都路町の中学校の松の葉は全体が黄色で、下部を中心に赤ポツが散らばる。片やアート、片や科学。どちらも見えないものを「見える化」する試みにはちがいない。
 
 倉谷さんの作品には「彼岸花0.72μsv」「杉0.08μsv」といった題が付いている。植物のあった場所の放射線量を示し、さらに撮影年を記す、きわめてドキュメント性の高いタイトルだ。少なくとも福島県内の人間は数値の意味するものを読み取ることができる。「彼岸花」のブルーの濃淡が印象に残った。
 
 ついでながら、展覧会名の「ZINARI」からは、天変地異に通じる「地鳴り」を連想するが、ほんとうはどうなんだろう。(あとで吉田さんからコメントが入った。「世界の地響きも意味します!」、なるほど)