2016年7月30日土曜日

回覧物振り分け

 行政嘱託員(兼区長)をしているので10日にいっぺん、いわき市から広報資料が届く。各戸配布か隣組回覧かで枚数は異なる。隣組に入っているのはおよそ335世帯。平均すると1隣組あたり10世帯で33班ある。班ごとに配る資料を振り分けないといけない。 
 そうして茶の間が月に3回、折り込みチラシを振り分ける新聞販売店のようになる(10代の終わり、東京の新聞販売店に一時、住み込んだ)。

 暑いときには戸も窓も開け放つ、低気密・低断熱の「昭和の家」だ。カミサンが回覧資料を振り分ける、終わって私が紙袋に詰める、という流れなのだが、袋詰めをさぼっているうちに風が通り抜けて資料が吹き飛ばされることがある。前回がそうだった。あわててそこらへんにあるモノ(爪切り・皿・カッターナイフ・蚊取り線香の台など)で資料を押さえる仕儀になる=写真。
 
 きのう(7月29日)、いわき市を含む南東北の梅雨が明けた。平年(7月25日)より4日遅い。朝から急激に気温が上がった。昼前の室温が32度。とてもじゃないが、「在宅ワーク」をするどころではない。

 といいながらも、扇風機をかけて調べ物をしながら、合間に近所の診療所へ薬をもらいに行ったり、午後には地元の道路整備促進期成同盟会の総会に出席したりした。戻ると、8月1日付回覧資料の袋詰めが待っている。振り分けも袋詰めもひとりで、となると、たぶん「孤独」を感じてため息ばかりついている。カミサンが手伝ってくれるから、なんとかここまでやってきた。
 
 政治の原点はと、つくづく考える。夫婦間の意見の違いや利害を調整して、家庭内の平穏を維持することではないか。たとえば、カミサンが出かけるときに運転手を務める。イヤだとは言わない。行政資料が届くとカミサンが見かねて振り分けを手伝ってくれる。協働、分担、我慢、低姿勢といった言葉が頭のなかで点滅する。

「政治をするサル」という本がある。知り合いに多摩動物公園のチンパンジー飼育係氏がいたので、興味を持って読んだ。その延長で、生活のなかで「政治をするヒト」の姿を観察してきた。今、私もそれを意識して暮らしている。

 すでに8月1日付の資料は振り分けがすんだ。2日から7日までは旅行で家を留守にする。で、きょう、日中は自分の用事に集中し(暑くなりそうだ)、夕方、一段落ついてから資料を区の役員さんに届ける。せいせいして旅行に出かけたいから。

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