2010年1月20日水曜日

ヤマドリの尾羽


朝晩、同じコースを散歩する。ときどき驚くことがある。前日までは何もなかったところに花が咲いている。夏、南から最初の渡り鳥が到着する。冬、今度は北の渡り鳥がやって来る。夏井川で大きな魚がバシャッとはねる。人間の暮らしのそばで繰り広げられる自然の営み、そのいのちの循環を思い起こさせる“発見“に事欠かないのだ。

きのう(1月19日)の朝も驚いた。いや、首をひねった。国道6号バイパスの終点部に歩行者専用のトンネルがある。トンネルをくぐれば、2000年に小学生たちが苗木を植えた照葉樹の「草野の森」だ。そのトンネル内に赤みがかったヤマドリの尾羽が落ちていた。長さはおよそ1メートル。

そこは少なくとも住宅街の一角だ。河川敷に近いといっても、河原にすむのはキジであってヤマドリではない。森にすむヤマドリの尾羽がなぜトンネルの中に落ちていたのか。どこか遠くの森から風に飛ばされて来たのか、だれかが落としたのか。むろん、答えは出ない。尾羽を家に持ち帰った。

散歩時にときどき鳥の羽を拾う。カラスの風切羽、キジの尾羽、そして今度のヤマドリの尾羽=写真。ヤマドリの尾羽は飛び抜けて長い。週末に出かける夏井川渓谷では、カケス・ツグミ・ヤマセミ・タカ類の羽を拾った。今も無量庵に飾ってある。それらに比べても長い。

鳥の羽はとにかく軽い。鳥によって、あるいは部位によって色と形が異なる。鳥の外観から受ける色の印象などは全くアテにならないのだ。なにより模様が美しい。で、ガラス窓の桟などに差し込んで残しておく。カラスの風切羽はパソコンの画面やキーボードのほこりを払うのに適している。

何日か前、夏井川の対岸にある家で獅子頭の飾り羽の話になった。尾羽の確保が難しいので、窮余の策として地鶏を飼い始めたのだという。雄の地鶏の尾羽を確保するには、いつかはしめなくてはならない。食べて尾羽を残す食文化の“復活”と伝統の“継承”だ。ヤマドリの尾羽を見ながら、そんなことも思い出した。

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