2010年10月12日火曜日

トリエンナーレ


10月2日に始まった「いわきアートトリエンナーレ2010」が、きのう(10月11日)終わった。35歳以下の、いわき市内外のアーティスト77人が参加した、市民レベルの一大イベントだ。

外野席からみていて思ったのは、二つ。展示会場をめぐって、若い作家の表現が多様になっている、ということ。そして、それを可能にする事務局のサポート態勢があった、ということ。

トリエンナーレ最終日の11日、いわき芸術文化交流館「アリオス」わきの平中央公園で野外シンポジウムが開かれた。

まず、美術家でもある事務局長の吉田重信さんが、このトリエンナーレのためにかけている時間の質量、つまり自分の仕事を先送りにしたり、犠牲にしたりしている、ということが容易に理解できた。事務局のメンバーにもいえることだが、日常の生活から離脱する時間が増えて家族に負担を強いる、という一面もあったはずである。

家族、友人、その他。広く深い「アヒルの水かき」があったからこそ、2回目のトリエンナーレはつつがなく終わった、とはいえないだろうか。

さて、いわき市内すべての会場を見て回ることはできなかったが、平近辺の何カ所かを巡って表現の今と昔の違いを痛感した。いわゆる「平面」より「立体」が多い。公園で見たのはバルーン=写真=だった。

会場の一つに「草野ホール」があった。40年近く前、同ホールはそれこそいわきのアートシーンを一手に引き受けていた。若い美術家のたまり場だった。その文化的な蓄積が、やがて「市民ギャラリー」という美術振興のための市民団体を生み、その運動によって市立美術館ができる、という流れをたどる。

そのころ、草野ホールに入り浸った1人として会場へ出かけたが、そこは新「草野ホール」だった。回想の「草野ホール」は草野ビルの3階だが、トリエンナーレに使われた「草野ホール」は2階。元は喫茶店で、スペースは半分以下ながら展示スペースとして改装されていた。

若い人たちよ、伝説の「草野ホール」ではなく、新しい「草野ホール」で自分たちの歴史を刻め――。なんとなくそんな気持ちになった。

再びシンポの話だが、「つながる(つなぐ)」「開く」、この二つがキーワードとして語られたように思う。アートを介して、あるいはトリエンナーレを介して人と人とがつながる、つながるためには心が開かれなくてはならない。それはアートに限ったこではないだろう。身近な共同体にも同じ原理がはたらく。

パネリストの一人、茂木健一郎さんは社会の矛盾に対して怒りを持て、というようなことを言っていた。トリエンナーレについても時折、辛辣な言葉を発した。挑発的な役目に徹していたようだ。人間としての生き方が問われている、そういうことを言っているのだと受け止めた。

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